絵を描くことは、自分事です。
自分で描く以外にないからです。
自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の手で描くのが、基本だと思います。
それでは、習う必要が無い?いいえ、そんなことはありません。
自分を広げるためには、人との出会いは必要です。

だから絵を描くことについて、自分のことを棚に上げることは出来ません。上手く行かなくても、受け止めるしかない。方法を知っていれば、それだけで上手く行くということも無い。自分で経験しながら、身に付けていくしかありません。
それは、古風な言い方ですが、心技体という考え方で、分かりやすく説明できます。心と体が、技とバランスが取れるようになって、技というものが身に付く。経験上、それ以外に上手く行ったことがありません。

絵を教えていると、それが言葉では簡単なようでも、実際は簡単ではないことを痛感します。
通信制を始めて、「評論家」の方々と良く出会います。その方々は、とてもたくさん情報を知っているのですが、絵に関しては、まだ何も書けない初心者です。
自分が出来ないことがある場合、教え方が悪いと叱られます。もっといい方法があるはずだと、お説教をいただきます。自分の手を使って練習しないと出来るようにならないと、伝えることにとても苦労します。冗談ではなく、良くある話なのです。

そんなのは、一部の話だ。そんなことは、ちょっと考えれば、簡単に避けられる。
そうおっしゃる方、果たしてそうでしょうか?

我々は、自分のことは良く見せたい心理バイアスを持っています。更に、自分の悪いところは隠したい心理バイアスも持っています。
自分が上手く行かないのを、自分で受け止めるのは、簡単でしょうか?自分以外のことに原因を探し始める、つまり自分のことは棚に上げて、人のせいにする方が簡単です。この二つは、お互いを強化して、結構強い連鎖反応になります。
更に、同じ考えの人が集うと、いじめる側にも似て、深く強く連鎖が強化されます。赤信号をみんなで渡っていても、私には止める力はありません。

もう一つは、情報化社会の構造です。
まず検索して調べるというのが、今は普通かも知れません。上手い絵も、ノウハウも、検索したらいくらでも出てきます。上手い絵ばかり見せられて圧倒され、自分はまだ出来ないので、早くノウハウを身に付けて上手くなりたいと焦ります。
これは、上手くなるためには、まったく逆効果です。情報を遮断して、自分の心と体を見つめる方が、もっと早く上手くなるでしょう。
このように、情報に判断力を奪われ、錯覚させられてしまうのです。繰り返しになりますが、情報を得てわかることと、自分が出来るようになることとは、別問題です。

このような蛸壺には、意外と嵌ってしまうことが多いと思います。ネットを見て、実は何もしていないのに、時間ばかり経過していると思うあなた、はい、嵌っています!
人生、至る所に蛸壺あり、、、。

情報は他人事、自分が行動してわかることとは自分事、やはり区別をするべきです。やはり絵を描く上での肝は、自分が行動するかどうか、ということになります。
そうなると、人の目線より、自分の向上が、確かな手ごたえになります。それは、生活のハリや、人生の充実にもなるはずです。せっかく絵を描くのだから、是非、楽しい方向に行っていただきたいと思う次第です。