●フェイクニュース、憶測、うわさは、事実には敵わない
火の無いところに煙は立たない→予想通りの結果になる、大山鳴動、ネズミ一匹→大袈裟な割には「しょぼい」結果になる、お化けだと思って一夜明けたら枯草だった→事実無根、このように現象→結果はいろいろあります。実際、未来はどうなるかは誰にもわかりませんから、どれに当てはまるかは後になって分かること=後付けです。しかし、わからないことは興味関心をそそられるもので、盛り上がってしまうこともあります。

百聞は一見に如かず
これは100の言葉を聞くより、事実を一目見ただけで明白になるということです。事実は強い。事実を前にして、フェイクニュースや、憶測、うわさは、俯いて退場していきます。昨今は、公私にわたって、何が本当かわからないのに、盛り上がってしまう現象が起こりますが、自分が巻き込まれて、恥を掻いたり損をしたりしないためには、事実ではないことは一旦保留、事実になった時に留意する、こういう対処が賢明だと思っています。

今回は事実に基づくということで、話を進めたいと思っています。事実に基づくということは、確かな道筋を示してくれると思うからです。

●略歴は事実
略歴というものには、事実しかありません。(勝手なことを書くと、詐称として叱られてしまいます。)
略歴は個人史、その人を知る根拠になります。親ガチャとか、学歴フィルターとか、否定的見解もありますが、略歴は素のままの自分、アイデンティティーです。出所履歴をオープンにしなければ、HP、記事、組織は信用されないように、自分自身を公開することも、信用を得るためには致し方のないことと、私は受け入れています。

●長年かけて出てきた結果は事実
結果に結び付いて、略歴に書ける場合もあれば、結果が出ず、空白期間となる場合もあります。
プロになりたいと言っても、練習もせず絵を描いていない人は、結局プロにはなれませんし、プロを名乗っても、活動実績のない人はそうは言い難い。直ぐに放り出してしまう人は、自分が認めたくないことがある毎に、あっちでもこっちでも同じことを繰り返していくことを続けます。
実があるかどうか、時間の経過とともに、その人の真の姿が明らかになってしまう。事実というものは、格好つけても、逃げても仕方ない、客観性を持っています。

●今まで描いた絵も事実
さて、ここからが本題、絵について話を進めていきます。
ノウハウに関しては、「絵は簡単に上手くなる(?)」から「10000時間の法則」まで、嘘も誠もひっくるめて色々が説き方があるでしょうが、どういう方法で描こうが、何時間描こうが関係なく、描いた絵の数は事実になります。
そこで、今まで描いた絵を、全部並べて見るのはいかがでしょうか?紙だったら、広い部屋に並べたり、積んでみればいいでしょう。デジタルだったら、ホルダーに全部詰め込んでみればいいでしょう。

並べて見ると、自分がどれだけ描いてきたか?一目瞭然です。一個一個をつぶさに見るように出来れば、更に検証できるでしょう。上手く行ったもの、上手く行かなかったもの、どういうものをたくさん描いたか?自分の熱量や技量、傾向がつぶさに観察できます。

ちなみに、上手い人やプロの人は、下手な絵や失敗作も含め、とてもたくさん描いています。これは事実だと思われますが、プロのみなさんみんなに確認したわけではありませんので、最初から上手い人はいない事実、上手くならないと入れない美術大学があって、そこを出た人がプロとして多く活躍している事実から、確証の高いものとして申し上げています。

描いた絵を全部並べて見るだけで、ご自身を総括したり、ファクトチェックしたり出来る、手っ取り早い手段です。おそらく、自分で思っていたこととは違う発見が出来て、「目からうろこが落ちる」のではないでしょうか?

●事実を繋げていく
事実に基づくために、これは事実なのかどうなのか?慎重に冷静に見ていくことは、必要です。そして事実がはっきりしたら、次の事実=結果になるために、淡々と繋げていくことも、肝要だと思っています。

デッサンでは、「描きながら考える。」という言い方をします。具体的な改良点を、常に拾い上げ、目に見える形で、改良点を線や塗りで施して行きます。線や塗りは、次へのアプローチでありながら結果でもありますので、それが上手く行っているかいないか、即時に具体的に判断して、修正または次を描いていきます。描くことで、考えることに具体性を与える、これはデッサンの利点です。

具体性を持つか?これは事実を積み上げていくには、大切な視点です。考えることは、大切ですが、いくら考えても事実には結びつかない。下手の考え、休むに似たりと言いますが、頭でっかちになって手が動かない状態に陥ったり、現状にそぐわない横道にそれることは、間々あります。具体的な作業と思考を組み合わせていくことは、大切です。

理想を高くして熟慮断行する、それも結構でしょう。しかし、やっぱり止めとこう!となることも多いようです。とにかく手を動かして描いている人の方が、結果的にたくさんの絵を描いて行くことになると思います。プロになると大上段に構えるより、好きな絵をせっせと描いて行くことです。プロになりたいぐらい、絵が好きなわけですから、それが出来て当然です。それが出来ないというなら、実は絵はそれほど好きではない、ということが事実として浮かび上がるでしょう。

描きながら考える。」というのは、こまめに行動を起こしていくということでもあります。自分の性格に合わせて、行動を起こしやすい手段を、自分に当てがってあげる、という言い方も出来るかもしれません。例えば、プレッシャーを感じてなかなか手を動かせないことは、良くあります。そういう時は、準備運動として運筆を行ったり、練習を作業に置き換えると、感情を抑えて行動を起こしやすい。行動を起こしやすいから、結果につながって行きやすいということです。このようにして、事実から事実を繋いでいく作業を繰り返していく内に、いつの間にか上達しているということは良くあります。

●方法は手段であり、結果=事実に合わせて考えるべき
ノウハウばかりに注目すると、事実を見失います。
ノウハウ本はよく売れる様ですし、ノウハウはネットを検索するといくらでも転がっています。自分の思うような結果を出すのは、簡単なことではないから、良い方法を見つけて、早く上手くなって、他の人を出し抜こうと思う気持ちは分かります。しかし、自分の目的がはっきりしていて、今の自分の技量を知っていて、それを考慮して方法を選んでいますか?

方法は手段です。
目的によって、手段は変わるのです。
目的がはっきりしているなら、手段を選ぶことはそれほど難しくありませんが、目的がはっきりしていない場合は、迷いのもとになります。方法が絞れないとか、手段と目的が一緒になってしまうとか、手段が目的化してしまう(主客転倒)ことなどが、往々にして起こります。

そして、山に登るルートがたくさんあるように、方法はたくさんあります。
短期的目的を叶える方法が、長期的上達につながるとは限りません。描き方の一つを覚えるのは、それほど時間がかからないだけであって、何でも思い通りに描ける様になるためには、何でも描いて練習する分だけ時間が掛かるということになります。どんなに素晴らしい方法だと喧伝されていても、後になってみなければ、良い方法だったかどうかはわかりません。

目的のために、手段=ノウハウがあるという事実についてお話ししました。自分の今まで描いたもの、これから描いていきたい作品と近い参考例など、事実を踏まえて、方法を考えることをお勧めします。

●上達するのはゆっくりであるという事実
方法を考えて、小さな事実をつないでいけば、上達します。
しかし、上達には時間が掛かることも事実であることも、予め申し上げておきます。
鉛筆が手に馴染むことも、目測を身に付けるのも、形、色、光、構図、質感などを一つ一つ考え、それらを総合していくことも、体で覚えていくスポーツの様に、考え方を身に付ける理系問題の様に、時間を要します。記憶問題の様に、短期的に成果が出るものではありません。長い目で見ていくことが必要です。

また、すんなり進めばいいのですが、最初は上手く行かず、上手く行かないところを改良して、何度か手を加えて上手く行くなど、数々の失敗も経験します。上がったり下がったり、細かい波を繰り返しながら、全体的に持ち上がっていくように、少しづつ上達していきます。そういう事実を踏まえておくと、「失敗があるから成功もある。」ぐらいにおおらかに構えられて、「失敗したら自分には才能が無い。」とかいうように、感情的になって大騒ぎしなくて済むと思います。

●事実を妨げる最大の要因とは?
行動を妨げ、事実を否定する最大の要因は、感情です。
絵というものは一人でも出来るし、「美」を追求するものですから、とてもナルシズムと相性がいいのです。(自分をテーマに作品を作る人は、この傾向が強くあります。)絵において、想像や空想は大切なものですが、現実逃避という側面もあることは否めません。感情とナルシズムがタッグを組むと、事実を否定する最強コンビになります。

冷静に客観的に見ることが出来れば、感情に振り回されることはありませんが、それが出来れば話は簡単です。果たして、感情やナルシズムを上手くコントロールすることは、出来るでしょうか?
感情やナルシズムは人の根幹ですから、それは難しいことのように思えます。また、それを失うと、アートは味気ないものになりそうにも感じます。冷静に客観的にと言われるばかりで、絵を描いている私素敵?というキラキラ感もワクワク感も無いのは、とてもつまらないでしょう。

まずは、感情やナルシズムを事実だと認めることです。
具体的には「私は、冷静に客観的に見ることが出来ないんだ!感情に振り回されるんだ!ナルシストなんだ!プレッシャーに弱いんだ!人前では格好つけて、プロになると言っちゃったりするんだ!でも、面倒くさがりなんだ!努力するのは嫌いなんだ!」ということです。それらを事実化することで、感情やナルシズムをだましたりなだめたりすることが、少しづつ出来るようになる。そんな自分が嫌だから、少しでも冷静に客観的に判断していこうとする、それが自然な流れかもしれません。(こうやって並べると、結構、私も該当します。)

自分一人で考えないで、周りを巻き込むという方法もあります。
失敗するのは、プライドが許さないという人がいました。お仲間の前で、下手なところを見せるのは絶対嫌だ!というわけです。でも失敗しないのが無理なら、上手くなるのも無理ですから、こういう時は一緒に失敗してくれる友達を見つけると良いかもしれませんね。一緒に失敗しながら、上手くなるまで頑張れば、プライドは、友情という素晴らしいものに変わってくれるかもしれません。

否定したり抑えたりするのではなく、まず事実として受け入れるということは、今回の要点です。

●自分が、これからの事実を作る
過去は事実、事実は動かしがたいことで、長年かけて出てきた傾向は、将来の可能性としては高いものとなりますが、未来にとって決定的なものか?というと、そうは思いません。

今までのことだけで、これからの全てが決まってしまうというのでは、身も蓋もありません。未来は誰にもわからない、これも事実です。事実をどのように踏まえ、具体的にどのような行動を起こすかで、その人の未来は変わってくるはずです。