いわゆるデッサンは、モチーフを置いてそれを描く訓練ですが、
●構図をどうするか?
●どのように形を捉えるか?
●立体感や面を捉えるか?
●光や色をどう明暗に置き換えるか?
●質感をどう表すか?
●それらをタッチでどう表現するか?
という様々な命題があります。

デッサンでは、これら命題を、どういう順番で、どのように組み立てていくかを考えていく訳です。ですからデッサンには、考えながら組み立てる、知的パズルのようなところがあります。様々な命題は、脳内で断片のように散らばっている、例えるならジグゾーパズルのピースのようなものです。デッサンにとって、自分が見て、考え、判断することは、とても大切なのです。

いわゆるマニュアルというものを、否定的に捉えているわけではありません。知識やノウハウは、人から人へ伝達するべき公益性を持ちます。初めて何かを経験する場合、導入としてマニュアルは必要になると思います。マニュアルを、人が得た経験をまるっと簡単に吸収できる便利なもの、と思う方もいるかもいるかも知れません。しかし多くの場合、マニュアルだけで全てを網羅することは出来ません。特に実技系の場合は、自分で繰り返しやってみることで、初めて知識と経験が結び付けられていくものです。経験に結びつかない知識は、関連も規則性も見いだせない、バラバラに散らばった羅列に過ぎません。そして、忘れられていきます。結局デッサンも、知識と経験を、ジグゾーパズルのように一つ一つ合わせていくしかありません。だからマニュアルは、半分以下なのです。

しかし我々は、マニュアルや知識が際限なく広がっている、ネット社会に生きています。どうしても情報過多になってしまう。経験を後回しにして、事前知識だけで判断しようとしてしまう。それは、コスパという言葉が流行っていることにも表れています。マニュアルで得た知識を効率よく生かしていくためには、ご本人の経験に基づいて、主体的にマニュアルを判断していくことが求められます。しかし、情報を先として、経験を後回しにする限り、マニュアルに縛られてしまうケースも多いかと思います。

よくあるパターン
●マニュアルが手放せなくなった
●マニュアルのために余裕をなくし、じっくり見つめたり感じたりする時間が無くなった
●想像しなくなった。
●想像したことを思い切って描くことが無くなった
●失敗を恐れるようになった
●感動が無くなった
マニュアルに縛られると、このような落とし穴があります。

絵を描く、それはそもそも自分の絵のことですから、ご本人が主体になるわけです。しかしマニュアルに縛られると、自分の絵ではなく、他人の絵を描かされてしまう。それでは、本末転倒です。

デッサンでは、観察という言葉が度々登場します。観想という言葉も、私は大切だと思っています。一人見つめ、一人思いにふける経験が、絵にとって大切な意味を持つと、私は確信しています。総じて、マニュアルを過信することは避けるべきです。自らの行動や経験を先にし、マニュアルはあくまで脇役、復習するときに役立てるぐらいの方が良いのではないでしょうか?