絵が上手くなりたい

上手くなりたい!デッサンを勉強したいと思っている方のほとんどは、上手くなることを目的としていらっしゃると思います。では、なんのために上手くなりたいと思いますか?アートでは、上手いことと、良いことはどちらが大事?もちろん、良いことです。デッサンは、良くするための「何か」を実現するための技術です。

良い!その率直な感想は、伝えることが出来たでしょうか?周りに認められたでしょうか?
幼いころは、遊んだり創意工夫したりする図工の時間が好きです。しかしだんだん大きくなると、「上手い」ことが重んじられ、そういう基準で成績が付きます。ここで、多くの人が「美術は苦手。」「自分には絵心が無い。」となっていきます。抽象絵画なんか見せられても、どうしてそういう絵が生まれたかが分からないし、どう感じていいかわからない。上手いかどうかで判断して、「子どもでも描けそう。」とか口を滑らせてしまい、、、、ますます絵が嫌いになってしまったり。美術教育、感性の世界を育むことは、とても大切だと思うのですが、なかなか難しい。

「好いかどうか」はその人の感性に委ねられるものですから、みんなそれぞれでみんな良い。裁量で成績を付けるので責任も重く、下手でも良いんだ!と主張されても、そうじゃないしな~とは言い返せない。同調圧力の強い中で、それぞれの違いを認める方向は、足枷をはめるがごとく、矛盾を引き受けることになります。今「上手いかどうか」という基準が、定説のように一般化されるのは、めんどくさいことには関わらなくていいじゃん!という、量的判断として支持されるかも知れません。しかし、「上手いこと」だけを大事にすると、近現代美術史の多くの作品を「上手くない」だけで終わらせることになるでしょう。

一般的な「上手く描く」目的は、「写真みたいな絵」でしょうか?デッサンが単なる「上手く描く」ための技術ならば、技術を持つ人みんな「写真みたいな絵」を描く?いや、描く訳がない。なぜ描かないか?人と同じことは、したくないからです。上手く描けることは、良いことです。しかし、上手いことだけが優遇され、人それぞれの違いや良さが認められないとしたら、それは窮屈で貧しいことになりかねません。

「上手く描く」ことは、良い目的す。しかし、「上手く描く」ことだけを目的にするのは、良いことではありません。