マニュアルは半分以下2

そもそも、絵というものは自由です。
主体的で、人それぞれの違いが認められ、尊重される世界だと(理想的建前ですが)思っています。絵の描き方は、その人の考え、好きなもの、描き方があってこそ、自由だと言えます。

例えば、女性を描いた作品について。
着物も、洋服も、ヌードももちろんOK。線一本で洒脱に描こうが、色面で表現しようが、陰影深くグラデーションで表現しようが、その人の自由です。そのような様々な表現を好き勝手するべきですし、そのような作品がたくさんあることが豊かなことだと思います。想像してみて下さい、美術館で同じような作品が並んでいる様を。見に行きたいと思いますか?

マニュアルを知りたいというニーズが、世の中からなくなることはないでしょう。だから、マニュアルを売りにすることは、無くなることはありません。しかし、文化芸術の本来目指すべき方向から考えると、マニュアルが通用するのは初期段階だけ、マニュアルだけでは、直ぐに限界に行き着くことは、ご理解いただけたかと思います。

ですから、マニュアルから先に世界が広がっていることを、経験者が示唆することは必要です。しかし、そこから先は、作家個人の力量や裁量に任され、マニュアル化も出来ません。コミュニケーションの壁、感覚的なことを言葉にする難しさや、公平な視野を持つことは、簡単ではありません。だからかどうか分かりませんが、そのような示唆はまだまだ少数のようです。今後、多様な経験者の示唆が、ネット上でも発表されていくことを期待したいと思います。

マニュアルというものに縛られると、失敗はないが、窮屈な世界になってしまうことは、ご進言申し上げます。表現の世界は、失敗も経験しますが、主体的で自由な世界です。そこでは、失敗は先に進むために必要なもの、失敗ではなく手応えであると考えるべきだと思います。皆様それぞれが、開拓者のようなものです。ご自分がどのような絵を目指したいのか?という視点を、知識を選別するためのリテラシーとすることを、強くお勧めします。

絵に取って、何が一番大切なものであると分かっている人は、デッサンが上手く描けて自慢したり、そっくりに写す技術に満足したりはしないと思います。私も、デッサンが出来ても大したことはないと思っています。されどデッサン、とは思って教えたりはしていますが。