マンガ・アニメは、線画です。幼い頃から慣れ親しんだ、この描法が特別なものだと感じる人は少ないでしょう。しかし、線で描くということは、実は特別なことなのです。
マンガ・アニメは線で描き、最後まで線が残るのに対して、通常のデッサンは最初は線で描いても、最後は線は無くなります。それは、デッサンで現実を描写していく過程で、立体感や陰影が線に置き換わるからです。現実の世界には「線」というものが無い!線というものは、特別に取り出した表現だということになります。
我々日本人は、線による表現に慣れ親しんでいますが、これには日本の伝統が影響しているところがあります。日本の伝統では、立体感は省略され、違う性質のものを線で区別します。欧米絵画の歴史は、光や立体感を表現することでした。この違いは、欧米にとって衝撃的に受け取られ、アール・ヌーボーとして多くの洋画家たちに影響を与えました。引き目鉤鼻の「やまと絵」から「北斎漫画」まで、「平面化」して線で表現することが、現在のマンガ・アニメまで繋がっている日本の特質です。しかし、この「平面化」は、単に立体感を省略するのではなく、最初から平面的に捉えるという変種です。高畑勲の「かぐや姫」は、この表現を上手く使って、アニメの躍動感を出していたと思うのは、私だけでしょうか。クール・ジャパンというなら、彼に続いて、更に掘り下げる必要があるように思えます。
マンガ・アニメのデッサンは、ステップアップが難しいところがあります。それは線だから、絞りこまれたシンプルな表現だからです。次に、躍動感や奥行きを表現することは、簡単ではないからです。それをシンプルな線に込めるわけですから、難しくても当然です。まずは、立体感や光の当たり方、質感などをデッサンで練習し、その後シンプルな線に置き換えていくという二段構えの方が、いきなり線で躍動感や奥行きを達成しようとするより、早道かも知れません。私の妻も、苦労しました。彼女は、なかなか立体的に捉えることが出来ませんでした。今まで平面的にとらえていたものを、「立体視」「空間視」という見方に変える、それは認識を変えることですから大変だったでしょう。まずは基本的な立体をデッサンすることから始め、次に人体の立体感を覚え、ポーズを付けたものに落とし込むというように、少しづつステップアップさせていきました。それには、ある程度の時間が必要でした。
加えて、マンガ・アニメは一枚の絵を描くだけではなく、ストーリーやキャラクターなど幅広く多彩な魅力を表現することが出来ます。いろいろな小説や映画に触れて、それぞれの世界観を育てることも、デッサンのノウハウに捕らわれることなく、大切にしていただきたいことです。