「受験生みたいなことをしたくない!」と良く言われました。
そんな面白くないことはしたくない、好きな絵を描きたいという訳でしょう。でも好きな絵が、思い通りに描けるか?というと、技量不足で上手く行きません。

受験生の方はどうか?
確かに、面白そうにデッサンしている人には、あまり出会いません。皆さん、受験で必要だから仕方なくやっているという感じです。
普段から、絵が好きで描いていた人も、あまり居ないようでした。それで将来を決めて良いの?と思いますが、それは人それぞれ。でも今まで絵が好きで描いてこなかった人が、いきなり絵を描き始めることも、それもデッサンから始めるというのは、さぞ面白くないだろうなと想像します。

デッサンは受験のためにある、世間一般の理解に、そのようなものが強くあります。しかし、デッサンは受験のためにあるものではありません。受験とデッサンの間には、それが導入された以降の歴史の分だけ、深い因縁があります。デッサン本来の目的と、受験のためのデッサンが、全く違うものとはっきり切り分けられれば、話は簡単なのですが、、。

受験生で多いケース

受験生が、試験に受かるためにデッサンをする、これは現状の大多数であることは否定できません。「試験に出なければ、出来ればしたくない。短期間で何とかクリアーしたい。」と、そう思っている受験生も多いのではないでしょうか?

熱血!デッサン塾で、受験直前に駆け込み投稿する人が、相次ぎました。センター試験対策ばかりしていて、さあこれからデッサン始めるぞ、でも時間ない、どうにかしなければ、という具合です。中には、明日試験だから何かアドバイスをください!というケースもありましたが、混乱すると逆効果なので、コメント出来ないとお返しするしかありませんでした。

将来が掛かっています。焦って感情的になりながらも、追い込まれていきます。しかも、自分が好きでもない、面白いとも思わない「球や立方体」を描かされる。これは、苦痛です。絵を勉強するモチベーションとしては、本来あるべき姿ではありません。それぞれが好きな絵を描いて、楽しんで過ごすのが本来なら、この状況は余りにもかけ離れています。

デッサンのリアルな状況として、短期間で上達することはありません。それは技術以上に、感覚や認知を鍛えることが必要になるからで、それらは実際手を動かして経験を積んで行かなければ身に付きません。時間的余裕があれば、精神的な余裕も生まれてくるでしょうが、受験生の多くが、ギリギリになってデッサンを始めます。

美術系進学にデッサンが問われるわけ

どうして美術大学入試で、デッサンが要るということになっているのでしょうか?
絵画造形分野は、「もの作り」です。実際に、自分で描いたり作ったりします。絵画とか彫刻とか、それぞれの専門知識を身に付けるのにも時間がかかり、作品の完成度を高めるのにも時間が掛かります。実践教育は時間が掛かるので、大学に入る前に基礎を身に付けてほしい、そうじゃないと時間が全然足らない。また、それを仕事にしていくことを目指している(実際、絵描きで食べれるようになるのは一握りですが)のなら、それなりに厳しい道なのだから、そこに進みたいのなら素養や適性(覚悟も含めて)を確かめたい、それには実技試験は必要ではないか?そのように大学側の考えを代弁してみましたが、これは経験的にも頷けます。

絵描きになるのではない、先生を目指しているのだからこの話は該当しない、という方もいらっしゃるかも知れません。しかし現状の美術教育の、上手いことが良いこととされる技術中心の教え方が圧倒的に多いことはおかしい。自分が実際に描いたり作ったり考えたりした経験が、そのまま教える内容になることを鑑みると、一面的な技術中心の考え方に偏らない、多くの経験を持った美術教育の担い手の方が、社会的ウェイトが大きいと思えます。大学教育課程のデッサン入試が、一般美大より入試が軽めになっているのは、不当だと感じます。

職能→リベラルアーツとしてのデッサン

美術に、デッサンが要るという意味が、受験よりはるかに大きいのです。

中世、工房制で絵を描いていた時代、弟子は工房の主である画家の下描きを受け持ち、弟子には職能として、デッサン力が求められました。近代、マチスは、ひとつの絵を描くために、デッサンを何十枚も繰り返しました。ここでは、デッサンは個人の作品を改良する技でした。デッサンは長きに渡って、基礎として、クラフトマンシップを支える技術として、ビジュアルに関わる多くの職業の下支えをしてきました。このような歴史を考えると、美大系学校の入試でデッサンが問われるのは、当然のように思えます。私は、デッサンの実技試験が問われる状況を、厳しいものとは思いません。

しかし、美術教育が軽視されている状況は、強く感じます。
なぜ、多くの受験生が、デッサンを習うに当たり、本来とは違う苦しい思いをしなければいけないのか?
なぜ、多くの趣味で絵を描く方々が、デッサンを苦しいものと、専門的の人だけがするものと勘違いして毛嫌いするのか?
それはデッサンというものを知らない、知らされていないからです。
デッサンが受験のためと誤解される状況を作ってきたのは、美術教育の偏りのせいです。デッサンをする人が少なくなり、受験生だけがデッサンをするようになると、状況はますます偏るでしょう。

絵とデッサンは、リベラルアーツとして位置付けられ、一般的に教えられるのが妥当です。
絵の歴史は古く、太古以来、描き続けられてきました。
デッサンは、想像力を助け、認知を助け、絵を支え続けてきました。
美術教師は「なぜ、人間は絵を描いてきたのか?」「技術と美術はどう違うのか?」と問い、生徒に考えてもらうべきです。その問いを、みんなで考えることが、リベラルアーツである根拠となります。