デッサンを習いに来られた方に、良くお聞きしています。
「なぜ、デッサンを習いに来られたのですか?」と。
すると、
「とりあえず、デッサンをする。デッサンをすれば何とかなると思っている。」というお答えが、意外に多いのです。

そして、アイデアを苦手と思う人が、「アイデアを出せるようになるのは難しそうだから、とりあえず技術を鍛えるために、デッサンをする。技術を上げて行けば、そのうちアイデアの方は何とかなるだろう。」と思う傾向があるようです。私の妻も、最初そのように言っていました。デッサンを習えば、自分の画力を支え、仕事が上手くいくだろうと。

でも、デッサンは万能ではありません。アイデアや感覚は、美術ではとても大切です。作品や仕事に活かされるのは、アイデアやセンスの部分が大きいはずです。だから、デッサンだけ練習して安心するのは、おかしなことです。ここで言いたいことは、デッサンは技術、アイデアは感性という、二つの大きな柱が美術にはあるということです。そして、世間の一般的理解は、技術というものを重視する方向に偏っていることを感じるのです。技術やハード面を重要視しすぎるのは、バランスが悪いはずです。デッサンとアイデア、技術と感性、ハードとソフトは、バランスが大切だと思います。

技術に偏ってきた事例

私はバブルを経験していますが、この時代は極端にハード面が強く、ソフト面がないがしろにされた時代だと思っています。
当時のスクラップ&ビルドは、立派な建築物がどんどん建ち、まだ新しいのに潰して、またどんどん建てるという状態で、お金を回す=儲けるために行われていました。そのお金を有効なことに役立て入れば、今頃はどんなに良かったでしょうか、、、しかし時代の熱狂は有効なこと=ソフトには向かいませんでした。負の実例をたくさん生み出してきたのにもかかわらず、今でも、ハードさえ何とかなれば大丈夫という意識は強いように思います。マニュアル主義が一般的になりましたが、そこで伝えられることは知識に偏っています。

美術領域でさえ、ソフトが重視されていないところがあります。アイデアを生み出す人の権利は、今もそれほど保証されているとは思いません。面白いアイデアだとしても、一部の声に押されて、生かされないことも多いようです。アイデアがコピーされたり、アイデアが活かされないことで、それを作り出す人の苦労が報われないとしたら、従事者は仕事を辞めてしまうかも知れない。「労多くして実少なし。」と業界を見限ってしまうかも知れない。このように、クリエイティブ全体が疲弊してしまうのではないか?と危惧します。

技術中心主義的傾向は、今も変わらないと思えるのです。ハードは分かりやすく、形になったものは説得力があります。他方、アイデアやソフトというものは、目立ちにくく認知されにくい。世間一般でも、歴史的にも、ソフトは軽視される傾向が続いてきたと思います。ソフトは大切にしていくべきですが、このあいまいで捉えどころのないものを、どう伝え盛り上げていくのか?ということは難問であり、それは美術領域に拠るところが大きいと思っています。

デッサンは技術だけではない

アイデアや感性を大切にしている例として、デッサンには、作品の構想、作品の下書きという位置付けが有ります。
作品の構想は、アイデアやイメージなどの、作品の核になるものです。デッサンを描き進めると、アイデアやイメージに具体的な形が与えられ、更に盛り上げるためにブラッシュアップ出来ます。このように、デッサンは、作品の完成に向けた重要なプロセスを担います。

技術と感性のバランスという例として、一流の芸術家は、一流の職人でもあるそうです。アイデアを研ぎ澄ましている人は、技術も研ぎ澄ましていると言い換えることも出来るでしょうか。ただ、美術の世界では、アイデアやソフトの方が優位性を持っているように感じます。美術史には、技術的にはそれほど高度ではない、けれどもアイデアが素晴らしい作品が溢れているからです。ここでは、技術だけでは勝負が出来ませんし、アイデアは真似をしてはいけないオンリーワンが求められます。

アイデアが優位な例として、アイデアに優れている人はやる気も高いという、アイデアとモティベーションの同期があります。アイデアを大切にしている人は、次はこんなアイデアを生かしてみたい!と気持ちが高揚するため、作品制作のモティベーションも高い。デッサンに向き合うときも、技術を先に考えるのではなく、描き進め方やアイデアを考えることで、描く喜びや成果は増すはずです。

長々と例を挙げてきましたが、せめてデッサンを習う人は、技術中心に考えるのではなく、アイデアや感性も大切にして、バランスを取っていただけないか?というのが、このコラムの主旨です。世間一般に深く根付いている、技術中心主義から少し距離を取っていただきたいのです。妻も言っていました。デッサンを続けて、デッサン以外が大切なことが分かってきたと。