デッサンを描くのも好き、自分の好きなものを作るのも好き、どちらも好きなら、このような悩みは生まれないかも知れませんね。これは、デッサン=技術のために仕方なくするものVS自分の好きなものを作る=感性を使った楽しくうれしいもの、というように分裂してしまったからだと思います。

受験などが、目前に迫っていて、そんな余裕が無いからでしょうか?デッサンが上手くならないと、自分の好きな作品が実現しないと思っているからでしょうか?自分の好きなものに、自分のプライドを重ねてしまい、プレッシャーを感じることは良くあります。

それに対する反例を書きます。
例えば、画家が行うデッサンは、作品の下描きや練習になっている場合があります。作品とは、好きなもの、情熱、「人にどう見て欲しいか?」という考え、制作意図、様々なものが詰まっていると思います。デッサンでは、それらを考えるための、作品の前段階という役割があります。自分の好きなものを作るためにデッサンをすることは、自然につながります。

美大の試験でデッサンが出るから、デッサンをしなければならない、これは受験生が良く言うことです。早く上手くなりたいから、技術のことばかり気になります。そうすると、モチーフを見ても、面白いとか美しいとか感じなくなることも、、、、。このモチーフの肌合い、きれいだな~、どう表せばいいのだろうか?ああ、そんないい方法があるんだ!と、好きな気持ちから技術に入っていく過程もあります。しかし受験のことばかりが目の前にちらついて、そのような余裕が無くなるのでしょう。しかし、好きな気持ちを活かした方が、本質からズレることなく、受験には有利に働くことは間違いありません。

デッサンが上手くならないと、自分の好きな作品が実現出来ないということもありません。実現したい思いが強い人は、例えデッサン力が足らなくても、自分が納得するまで作り続けて、粗削りでも迫力のある作品を作ることがあります。デッサンが上手くなったとしても、自分の好きな作品を納得いくところまで追求できるかどうかは、技術の問題では無く、情熱次第なのです。

上手くなったとしても、新しいことに挑戦する度に、必ずと言って良いぐらい、上手く行かないことが生まれてきます。そこに留まるか、足りないものを補うか、それは作家の持つ熱量です。デッサン力が足らなければ、作品を作るために、更に練習する、それが熱量というものです。

デッサンでも、好きなことでも、上手く行かないことでも、次の目標でも、それぞれはつながっています。好きなことを迂回して、とりあえずデッサンだけ頑張ろうとするのは、部分的で本末転倒です。続けることが出来たのは、やっぱり好きだからという理由を良く聞きます。頑張るためにも、出来るところから少しづつ「好きなもの」を取り入れてみましょう。