鉛筆画の作例を掲載します。
〇〇氏の最後の肖像 鉛筆画 400㎜×300㎜

珍しい依頼がありました。
容態が重くなった人の、肖像画を描いて欲しいというものです。
「本人が望んでいる。容態は悪く、いつ亡くなるかわからない。急いで描いて欲しい。」と電話口で告げられ、入院先に駆け付けましたが、その場で描く許可は下りませんでした。写真を基に仕上げ、急ぎお持ちすることになりました。

目も耳も意識もはっきりされているのですが、上手く発語出来ない状態でした。
ご本人の希望を聞くために、筆談とゼスチャーで答えていただきました。
今の姿をそのまま描いて良いのか?と聞くと、頷かれます。
写真を取る段になって、カメラを向けると、彼は目を瞑って、少し横を向かれます。
目を開けなくても良いのか?確認すると、頷かれます。
この時、彼は死を迎える心の準備をしているのだと悟りました。

絵の説明

この絵は、3日間で描き上げました。
顔周りは、8時間かかりました。
背景のグラデーションは、12時間かかりました。額に合う大きさに合わせるため、水彩紙の裏側を使いましたが、凹凸ムラが出てしまい、それを消すために鉛筆先を使って細かく明暗を刻みました。
服の部分は、紙そのままにしました。「抜き」によって、顔に視線を誘導する意図です。

写真では、明暗は分かりますが、立体感はあまり感じられません。立体を想像することで、面の傾きをタッチで表現していきます。絡み合う曲線タッチは、肌の質感にも合うようです。
写真とは異なる、絵画独特の表現が、タッチにより可能になります。タッチは、絵画にとって重要なものであることが分かりました。

鉛筆に含まれる鉛は、見る角度によって反射します。狙っていた意図では無かったのですが、それを見つけた時、何かしら崇高なイメージが重なりました。これも、絵でなければ出来ない効果です。

無事、肖像画を届けることが出来ました。彼は、涙を流していました。
通常なら、元気な時、それも笑顔を肖像画にします。親族および看護師も、そのようなものと思い込んでいるようで、ご本人の真意が分かっても戸惑っている様子でした。ご本人が死を受け入れようとしていても、やはり死というものは受け入れがたいものであり、それぞれの受け止める度合いは違います。また、カタコンベ、骸骨寺院、デスマスクのような、死をリアルに感じる文化がヨーロッパにはありますが、日本では馴染んでいません。今回の依頼は、色々な意味で厳しいものでした。

年配の人を描く課題

描き手である私にとっては、メメント・モリ(死を想え)、死を想うことで生を見直しなさいという、キリスト教の教えそのもののような体験でした。
精神的ショックを避けるよう促すテロップや、公序良俗に反するという言葉を見聞きする度に、死は一つの記号として他人事になっていき、一人一人が向き合うものから遠くなっていく感覚があります。向き合いたくなくとも、向き合わざるを得ないものとして、死や老いがあると思えます。そして、現代社会において、美術分野こそ、それも描く行為だからこそ、向き合えるものがあると思えます。
年配の方の肖像画を描くことで、その機会が得られることを、今回、身をもって体験しました。そこで、年配の方を描くことを、皆さまに推奨したいと思います。課題や審査の対象として検討していただけるよう、先生方の英断を期待します。