失敗を許さない、認めないというのは、プライドが作用しています。
失敗を認めるということは実に「痛い」、だから誰にとっても難しいことだとは思います。
ここは違うよと指摘したら、恨まれたことがあります。批判と感じたのでしょう。
しかし、人から言われた言葉が、批判になるか、アドバイスになるか、心持ち次第で大きく変わります。
悔しいから次に向けて頑張ろう!と前向きに作用すればいいのですが、失敗を避けるために後ろに下がり続けるという、回避行動になることも多々あります。人を認めないという、攻撃行動になることも、たまにあります。

最初から上手くいく人はいません。
それでもなお人目を気にしたり、失敗を恐れて、行動しない人は多いのです。
失敗ばかり気にする人は、上手くなりません。描けなくなるからです。
厳しいですが、実体験です。

失敗の認識を変え、前向きに考える方法

最初は、自分が思っていたのとは違う、と感じる方は多いと思います。
しかし、自分が思っていたのとは違うからダメ、と思うのは踏みとどまりましょう。
思っていたのとは違うのは、当たり前です。

どんなに上手い人が描く映像を見ていても、自分が実際描いてみたら、描けない。
美術の世界はこうだ、デッサンはこうだ、と思っていても、実際触れて見ると違うことだらけ。
自分は才能がある、描けるはずだと思っていても、実際描いてみると、それほど上手く描けない。

人は人、自分は自分、違うのが当たり前です。
思っていたのと、やってみるのとは違います。
これらを認識するのが、最初のハードルです。

次に、客観的に見るということを、意識してみましょう。
客観視とはデッサンでよく使う言葉ですが、自分のデッサンを、どこが上手く行って、どこが上手く行っていないか、冷静に判断する見方を、客観視と言います。自分で直していく力を付けるために、必要な見方です。
また、自分以外の人との比較や競争も、客観視です。負けたり、弱さに気付く「痛い」思いもするかも知れませんが、たくさんの人がいて、優秀な人がいるのも当たり前、負けることがあるのも当たり前と思えます。

手法で言えば、例えば、アタリという描き方は、軽く失敗するための線と言い換えることも出来ます。
アタリとは、薄い線で、大まかな形を捉えるものです。いい加減に描いてもいいものではないのですが、70%~80%正確であればOKという、本番の線を引く前の「探り」の線です。アタリの不正確な部分を、更に直して90%以上を狙います。最初から100%を狙うのは、初心者です。

例えば、実験という考え方もあります。
理系の話で違う分野かも知れませんが、研究者は実験では、何百何千という失敗から、わずかな成功例を見出すことを受け入れています。淡々と、粛々と実験を繰り返し、失敗したらやり方を変えて次の方向を探り、成功してもより良いものにするために、更に実験する。
デッサンは、何百何千と失敗しなければ上達しないということはありませんが、それでも一々失敗を気にするのではなく、淡々と、粛々と行う姿勢を持つことは必要だと思います。

良いものを作りたいという気持ちは、全員が持っているものでしょうけれども、良いものは最初から出来るものでも無く、直して行かなければ出来てきません。
直すためには、良いところ悪いところを判断していく、客観性が必要です。
客観視を身に付けるためには、繰り返し経験していくしかありません。
失敗も当たり前に繰り返しますので、そのうち気にしなくなり、失敗を直すことに自信が付いてきます。失敗を恐れるのが初心者、直す自信があるから失敗を恐れないのが、上手い人となります。

結論として、失敗を気にしなくなるためには、失敗経験が必要ということになります。
受け入れられることを、お祈りしております。