ここでは、デッサンは技術だけではない、デッサン以外のことも大きく完成度に関わっている事例を挙げて行きたいと思います。
愛猫が描けた人と描けない人の違い
愛猫を描きたい人が、2人同じ時期に表れ、デッサンを描き始めたことがありました。
どちらも、猫の毛並みの柔らかさを出したい、ということで毛を描く技術を同じようにアドバイスしました。一人の作品は、ふさふさした柔らかい毛のリアルさが出ました。もう一人の作品は、毛自体は描けているのですが、硬い印象を持つものになりました。どこが、分かれ道になったのでしょうか?
上手くいった人は、写真を食い入るようにして見ていました。上手くいかなかった人は、技術ばかり気にしていました。2人の結果を分けたのは、毛の流れが「どのように始まりどのように流れてつながっているか」感じ取れたかどうかでした。やはり、マニュアルでも技術でもない、感じ取る力=リアリティを掴む力が、デッサンには必要です。
ダ・ヴィンチの猫のデッサン
ネコつながりで、巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチに登場していただきます。
「二十匹を超える猫のさまざまなポーズと龍のスケッチ 1513-1515」というデッサンがあります。長いタイトルがそのまま説明にもなってもいるようですが、たくさんの猫たちが画面いっぱいに描かれていて、様々なポーズをとっている楽しいデッサンです。猫の一瞬を見事に捉えているのですが、不思議なことに途中で終わっているものがなく、全部が緻密に描かれています。彼の脳は、写真のように、図像を保管できるのかも知れません。画力の確かさだけではなく、片っ端から面白いと思ったら描くというような自由さ、縦横無尽さに圧倒されます。
よく見ると、猫の顔がそれほど可愛くない「ごつい」感じのものがあります。それに喧嘩しているポーズも多い。真ん中辺に突然、ドラゴンが登場しています。見て描いているスケッチと、イメージ・スケッチが入り混じっている。猫をスケッチした理由は、何でしょうか?猫はライオンの参考として描いたのではないか?ライオンとドラゴンの対決を描こうとしていたのではないか?と推測します。
とっさに閃いたものなのか、元々ライオンとドラゴンの戦いを描く目的があったのかは、今となっては分かりません。レオナルド・ダ・ヴィンチの描いたライオンVSドラゴンの絵画、心から見てみたいと思いますが、どこに描きこまれたのでしょうか?もしかすると、どこかで発見されるかもしれない、その可能性を想像するだけで楽しいものです。
リアルに描くだけではなくイメージを形にする、巨匠の想像力と創造性が見事に結実したデッサンの傑作だと思います。アイデアとデッサン、ソフトとハードは、どちらも大切で補完しあっている、そのことが明瞭に分かるデッサンです。デッサンを技術だけで捉え、技術を鍛えればどうにかなるというのは、狭く偏った考えであることを、明白に証明する遺産だと思います。