日清の「どん兵衛」を着彩デッサンしました。
使用画材は、鉛筆、色鉛筆、アクリル絵の具(白)です。
所要時間は9時間、7分のムービーにまとめましたので、どうぞご覧下さい。

カップうどん(どん兵衛)のデッサン

専門家の方からは、「暇なんだね。」とか言われそうで忸怩たる思いがあるのですが、妻を含め一般の方からは、言うだけでは説得力を持たないのも事実。ここは一つ頑張ってみました。

このデッサンは、写真ではなく実物を見て描いています。光学機器は使っていません。今後も、デッサンでは、出来るだけ実物を見ていくことにします。描いている時に常に考えていたことは、「描くこと」→「写すこと」の関係でした。「ただ忠実に」ですから、楕円や文字を写す時は少し苦行めいたものも感じつつ、そんなことを考えていました。やはり「描くこと」は、「写すこと」とは違う。「描くこと」には、自由度があり描き手の思いなどが反映されるべきです。「そっくりに写すこと」には、どのような意味があるのでしょうか?

「そっくりに描く」ということで思い出されるのが「スーパーリアリズム」、第11回日本国際美術展(1974年東京都美術館)でその作家群が初めて日本に紹介されました。「写真よりリアルに」という触れ込みだったと記憶しています。榎倉康二氏も出品した第10回東京ビエンナーレ(1970年東京都美術館)が、物質感をがんがん打ち出す作家が集い、物議をかもした展覧会だったの対し、180度違う切り口であることも印象的です。

「スーパーリアリズム」を描く方法は、写真をスライドで壁に大写しにし、それを絵具でなぞっていくというもの。元になるイメージは、日常生活の一部、機械、廃棄物など様々で、いわゆる写真作品には余り適さないものであり、そこにそれぞれ作家の視点があります。残念ながら、「スーパーリアリズム」はその後下火になります。チャック・クロースという作家が、その中でも異彩を放ち現在まで活躍していますが、大きな自画像をフィンガーペインティングで描く、という手法を編み出しました。作品は、遠目では自画像が浮かびあげるのですが、近くで見ると指の跡しか見えない。彼も、「何を写すのか」という問いだけではなく、「なぜ写すのか」という問いに答えざるを得なかったのです。

「なぜ写すのか」という問いは、作者がただ写すだけではすまなくなる必然、表現方法やコンセプトなど動機が必要になることを明らかにします。その動機は、人それぞれです。綺麗なもの、美しいもの、可愛いものに惹かれることが、動物や美人や自然の風景を描くということに繋がっている。そういう素朴な欲求の中には、人々をあっと言わせたい、技術を見せつけたい、ということも含まれます。どのようなモチーフを選び、どのようなテーマを持つのか、それは人それぞれであり、尚且つどのように表現し、どのように伝えるかも、人それぞれです。そのような多様性が、アートの面白さ良さであることに、素直に頷けました。

ただ単に、そっくりに写すということは、私にとって苦痛でした。ですので「食べた後のゴミ」という、捻りを加えました。食べ残していないので、製造会社に叱られることは無いと思います。