第2回 アートやその周辺の言葉が意味するもの

2021年5月1日(土) 14:00~17:00

講師
講師
こんにちは、歳森です。お時間になりましたので、始めさせていただきます。
質問された方がいらっしゃいますので、その質問からいきましょうか?
受講者さん
よろしくお願いします

イタズラとしてメガネを床に置いたら展示物と勘違いされた!

講師
講師
そのような仕掛けをする、現代アートが実際にたくさんあったのです。
受講者さん
なんと!
  • 「フルクサス」「ハプニング」というアート・ムーブメント そこでは、アート・パフォーマンス、コンセプチュアル・アートが数多く発表され、注目を集めた。
    ⇔ささやかな仕掛けをしたり、来場者に考えさせたり、普段とは違う視点を求めたりしました。
講師
講師
このようなアートのことを、この美術館を訪れる観客は、知っていたんではないでしょうか?推測ですが。
そうでなければ、蹴っ飛ばされたり、落とし物として届けられたりしたのではないかと思うのです。
受講者さん
知らなかったです。 ちょっとクグりました。

フルクサス(Fluxus)
ラテン語で「流れる、変化する、下剤をかける」
新奇なインターメディア表現、シンプルで意味を限定しない表現、ユーモア・ウィットのある表現、ゲーム性を好んだ表現。
(Wikipedia)

講師
講師
なかなか、愉快ですよね。
受講者さん
いたずらであっても、驚かせようという意図をもってメガネが置かれたということが芸術、というイメージでしょうか?
講師
講師
いたずらか?芸術か?この境目は難しいかも知れませんが、 例えば、「どっきり」や「フラッシュモブ」はどうでしょう?
目的の違いはあれ、日常に非日常を差し挟むという手法の類似性はあります。
受講者さん
大通りで、プロの演奏家が次々に演奏に参加していくフラッシュモブは芸術だと思えました。
なにかしら「技」があったり、ちゃんと狙いやテーマがあれば芸術になるのかな。
受講者さん
あまり芸術というイメージはないですね!ただ行動を起こした人がその行動をアートだと認識しているなら芸術になると思います。
受講者さん
言葉のイメージだと、どっきりはいたずらで、フラッシュモブは芸術だな、と感じます、驚かせることだけが目的かどうか、が違いでしょうか…
講師
講師
面白いですね。つまりアートは、認知の問題が大きく関わるということになります。また、今後詳しく掘り下げてみても良いテーマですね。
受講者さん
例えば音楽だと、ただ発した音を発信者が【これは音楽だ】と認識しているなら音楽になるなと思います^^

⇔何時でも、どこでも、自分の体さえあれば出来る気軽さ、ささやかさは、アートの敷居を下げた。
⇔今は、自分のダンスやパフォーマンスを、気軽に投稿したり、閲覧できたりする状況もあるので、今後に注目したい。

講師
講師
盛り上がりました。境目を厳密にするのは、ちょっと先延ばししましょう。
〇アート・パフォーマンス⇔〇パフォーミング・アーツの違いもあったりして、大変なことになりそうです。
ただ、表現する人が、ささやかに、気軽に、何か面白いことを出来るという可能性は、楽しいと思います。

抽象的な作品が作り手の意図を十分伝えられるのか?

講師
講師
まず、抽象絵画と具象絵画の違いを考えましょう。
  • 具象絵画=具象的なものが描かれる。具体物(人とか、花など)がモチーフ
  • 抽象絵画=抽象的なモチーフ、或いはテーマを持つ。
  • 抽象的なモチーフには、多様なものが含まれる。
    =素材の選び方や扱い、制作方法、関係、思想、感情など
受講者さん
抽象的なモチーフを表現するのに、具体的なモチーフを介さない利点、というと少し変な言い方かもしれませんが、そこが気になります。
講師
講師
良い質問です。
たとえば、女性が開放感を感じていることを表現する、これは具体的なモチーフに、開放感という抽象的イメージを表現しようとしているわけです。
もう少し進めさせてください。
    • 表現とは、形を写すのではなく、そこに何かを表すということ。

 

  • アートには表現がある
    →具象作品にしても抽象作品にしても、「何か」を表現したもの
    →表現というものが、抽象的とも言える。
  • 表現をより理解するには、やはり作り手の意図や背景=コンセプトを理解する必要があるのでは? (何が描かれているものが分かることと、何を表現しているかが分かることとは、一致しない。)
講師
講師
具象作品にしても抽象作品にしても、何を表現したかということは、理由を聞かなければ全ては分からないと思います。
受講者さん
抽象画は、匂いとか温度とか触感みたいな物だと聞いた事が。 確かにあるんだけど、見えないものを表現している。
受講者さん
抽象的な作品は、作者の意図を伝えることを最大の目的にはしていないのかなと思いました。それを見た人が、作品に対して、作者がどのような表現しようとしているものは何かを考えるというプロセスが加わるのが面白さの一つなのかなと感じました。
講師
講師
抽象的なものは、言葉で伝える場合でも、何かに例えたり、違う角度からの説明をしたりと、簡単ではないですね~。俳句なんか、噛みしめて、イメージを広げないと感じ取れない。抽象表現を感じるのは簡単ではありませんが、確かに見る人が考えるプロセス含めて、そこが面白いのかも知れませんね。
受講者さん
今の例だと、開放感そのものを表現しようとしたときには、女性という具体的なモチーフに頼れなくなる、というイメージでしょうか、しっくり来た気がします。
さっきのメガネの話でも、作りてはただのいたずらでしたが、受け手は芸術作品として受け取った、ということから、作品は作り手の意図だけでなく受け手の意図も重要と感じました。そして、そこに具体的なモチーフが描かれていてもいなくても、あまり変わらないのかなと思いました。
受講者さん
何か表現しようとして、突き詰めていった結果、抽象表現に行きつくのは何となくわかります。
「解放感」というテーマで、半裸の女性が大空に羽ばたく絵・・・とかいう具象表現では、ツマランです。 分かりやすい絵は、既視感がありますし。
講師
講師
作り手だけ、受け手だけ、ということではなく、コミュニケーションがあると思いますね。
  • 抽象的とは、現実離れしている例えとして使われることが多い。(が、そうでもない。)
  • 抽象とは、余分なものを削ぎ落して、よりシンプルにした、という意味もある。
  • 抽象表現主義=ジャクソン・ポロックが代表的作家
  • 現代アートでも、具象作品はたくさんある。抽象的なものだけではない。
講師
講師
ジャクソン・ポロック、本編で取り上げます。抽象絵画というもの、知ると大変面白いと思います。

表現というものが、抽象でも、具象でも、どういうものであるべきか?これは、大変重要で難しい問いですので、一生かけて考えて行きたいと思います(笑)。

受講者さん
抽象絵画は現実離れしているというイメージがありましたが、そうではないと思うと、取っつきやすくなった気がします笑

〇関係性のアートは、とりわけ抽象的

講師
講師
またまた登場、マルセル・デシャン 泉(既製品の便器)
既製品=レディ・メイド(あらかじめ作られているもの)を使用した訳ですが、これがまた大論争の原因です。 みんなが技術的に苦労して、絵の具を塗ったり大理石を削ったりしてきた。
それに対して、アート作品は、別に何も手を加えないものでの良いのでは?アートは視覚的なものではなく、見る人の頭の中で生まれるものでは?という問いを発したわけです。
これは正直、アートを作る人にとって、頭の痛い問題だと思いますね。
  • ダダイズムは、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想ですが、ここに「第一次世界大戦に対する」という言葉が抜けると、とても誤解されやすい。
  • 既製品の便器も、どういう場面で出品されたものか分からないと、とても誤解されやすい。
講師
講師
抽象的な作品が作り手の意図を十分伝えられるのか?という問いに対して、 伝えていく=コミュニケーションが必要だから、という答えで納得していただけますか?被せてますけど、、。
受講者さん
ありがとうございます、作り手と受け手の双方向というのがよくわかりました!
ふと思いましたが、便器にサインをして出品したものは、いたずらに近いなと感じました笑
講師
講師
本当ですね。とんでもない策士です。尊敬しています(笑)。
また、掘り下げましょう。
では、次の質問。

現代アーティストは変わっているのか?

  • 個人差がある。
    研究者から、パフォーマー、サラリーマンに至るまで、様々なタイプがいる。→最終的には個人の選択。
  • 表現に取り組む目的を持ち、個性が強く出そうとする意志がある。→個性的生き方を、自分で選択した。
  • 演出のために、意図的に「変わっている姿」を演じることがある。→広報宣伝
  • アート・パフォーマンスという、分野もある。→自分が、アートそのもの。
講師
講師
個人的見解です。正直、変わっている人もいると思いますが、変わっていたらいけないとは、全く思いません。迷惑かけない限り、全く問題はないと思います。 同じの方が良いとか、同じでなければいけないとかの、同質化、同調圧力は、とても問題が大きいと思うわけです。
個性、多様性のためには、もっと変わっている人が増えて、それが容認される社会になった方が良いと思うのですが、、。
受講者さん
個人的な印象ですが、現代アートは個性的なものが多いので、それを作っている人も個性的なのかな、というイメージがありました。
ちなみに、作っている人の性格と、作品のイメージが大きく違ったりするということはあるんでしょうか?
講師
講師
そういうタイプの作家もいますよ。本当に個性それぞれです。
受講者さん
まぁ・・・そもそも変わってなきゃ表現者なんてしないだろう、とは思います。
講師
講師
芸術は爆発だ!岡本太郎氏もCMのイメージが先行して、変わっていると思っている人も多いかも知れませんが、著書を読むと、とても真剣で真摯です。
講師
講師
「変わっている」というだけで、当時は理解が終わっていたのかも知れません。時間が経って、それだけではない理解が進み、近年とても評価されています。
変わっているという評価は、アートに取ってあまりいいことでは無いのでしょうね。
受講者さん
意外でした、太陽の塔のイメージが特に強いので…
変わっているというのは、なにか表現したいものを持っているということなのかな、と感じました
講師
講師
彼のCMを知らない世代ですね。失礼しました。かなり昔の話でした。

前置きで「昨今の状況を鑑みますと、あまり躊躇している場合ではないと思いました。」とありましたが、昨今の状況とはどのような状況を指していますか?

講師
講師
これは、私自身に対する質問なので、恐縮です。以下が理由です。
  • まずコロナ禍
  • そのための閉塞感
  • 外に出て作品を見に行けないこと、そのためにアート関係の場所も良い状況ではない。
  • インターネットは可能性があるが、偏りもある。
    →リアルが足りないこと、真偽の不確かさ、好みによる選別で、情報は偏っていきがち。→そのような環境下では、現代アートに触れる人が増えるとは思えない。
  • もともとの、現代アートの閉塞状況。
    →コロナ禍の影響で、更に現代アートを理解してくれる人が少なくなっていくように思われた。
  • 現代アートは、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりするだろうと思っている。
    →今の状況こそ、現代アートが役立つのではないか?
  • 有名な人も専門の人もいる訳だが、誰かがやるのを待っているようでは、自分の人生を考えた時、時間がもったいないと思った。

アートとデザインと工芸の違いはなんですか?ジャンル分けしなくてもいいかもしれませんが、あえてすることでそれぞれの本質が見えてくるのでは?

講師
講師
良いご質問です。ジャンル分けは、それぞれの持ち分、持ち味を明らかにすることでもあるはずです。同じようなことをするのなら、ジャンル分けする必要は感じません。
  • 工芸=生活に使われる実用品
    使う時に、快適に、美しく、または楽しくなるための、創意や美が込められたもの。
    作家が自ら作っている場合が多いように思える。
  • デザイン=広範な領域が含まれる、実用物、そのための計画
    文字のような小さなものから、建築のような大きなものまで、間接的な効果を狙った、グラフィックのような絵画的なものから、人の流れのような関係のデザインまで。 快適に、効率的に、美しく、または楽しく、デザイン・コンセプトも広くある。 他者からの依頼を受ける場合が多いように思える。
  • アート
    実用品ではなく(衣食住には関係しないという意味で)、形而上的、つまり精神的なものが多いと思われる。 自らの意志で、自らが主体となり、自らが作り(一人でない場合もある)、自らの意図を込めたもの。 大概の場合、他者からの依頼で生まれるものでもない。
    意図は、「自分が好きだから」というものから、「社会的ビジョン」まで、更に幅広くある。

 ※大枠としてお答えしました。例外的なものがあったとしても、それを否定する意図はありません。

受講者さん
最近は、工芸という言葉をあまり聞かず、ここで挙げられている工芸がデザインと呼ばれている気もします。
講師
講師
なるほど、工業化がますます進んでいるのかも知れませんね。
受講者さん
地方の工芸で、廃れそうになっているのを デザイナーがテコ入れして世に送り出す、という商品も多いですね、昨今。
受講者さん
作家自らが作るもの、というのが重要なのでしょうか?
講師
講師
これは考えさせられる質問ですね。作家が作る=希少性=良いものと言い切っていいものとは思えません。
価値、ニーズがどのように生まれるか、考えなければ答えが出ない気がします。
ジャンルというものは、固定的なものでは無いのでしょうね。
講師
講師
だからアートはどうあるべきか、問い直すことは必要だと思います。おそらく他のジャンルであっても。「これで良いんじゃ~!」では無いのでしょうね。

現代アートと、それ以前のアートの違いについて教えてください。また、その境目で何が起きたのですか?

講師
講師
現代アートには、今作られているアートという意味で、コンテンポラリー・アートという言い方もあります。
現代アートは、ここでは、自らが主体になって、自由に、自分の意図を込めた作品を作る、という定義です。近現代アートと言った方が、厳密かもしれません。
そのようなことを、初めに行った作家として、マネ、クールベが上がることが多いようです。(解釈は人によって、少し幅があるようです。)

それ以前のアート=パトロンに依頼され作られた画がほとんど⇔
現代アートの先駆け=自分が作りたいものを作り、見せた

[その境目で起きたこと]
科学の進歩→生産効率が上がる→産業が発展する→人々が豊かになる→市民社会が生まれ始めた。

受講者さん
昔はパトロンに依頼されたものしかなかったというのが意外でした。
講師
講師
ほとんどが、ということになっています。中には、あります。ゴヤの黒い絵とか、強烈です。
講師
講師
私も質問が湧いてきました。民主主義の発展と、現代アートの発展は、同時に起こって来たのか?というものです。そうだとしたら、これは重要です。

主催者の歳森さんは、なぜアーティストになりましたか?

講師
講師
この手段が、一番自分に合う方法で、社会的意義を持ったものだと、思ったからです。

また、小学生の頃、中学生の頃、高校の頃、美術への向き合い方、関心はどのようなものでしたか?

講師
講師
小学生の頃
=幼くから、泥遊びや粘土を好んだ。
両親の離別、鍵っ子生活の中で、生活の一部になった。親や先生に褒められるのはうれしかったが、自分が好きだからという理由でしていた。

中学生の頃
=運動に傾倒して、授業の時間以外は、それほどしなかった。

高校の頃
=中学高校を通した受験校経験で、学歴社会に嫌気がさし、運動ばかりしている内にすっかり落ちこぼれる。 田舎を追ん出て、アートで一発逆転することを目論む。
芸大受験のために、部屋にこもって絵を描き、ギリギリの出席日数でからくも卒業。

アート(美術)は、贅沢か?

講師
講師
コロナ禍で多くの方がお困りでいらっしゃる中で、お応えしにくいところもある質問です。

[贅沢であるという理由]

  • 絵にかいた餅(は食えない。)
  • 衣食住とは関係ない。
  • お金持ちだけが持つ、贅沢品。
  • 王侯貴族がパトネージュする歴史が長く続いた。
  • 今も、富裕層がアートを高額で取引する、マーケットの世界がある。

[贅沢ではないという理由]

  • 餅は食べれば無くなるが、絵はずっと楽しめる。
  • 衣食住とは関係なくとも、衣食住を精神的に支えるものはある。
  • お金持ち以外でも、見たり購入したりすることが出来る。
    ⇔宵越しの金を持たない江戸っ子たちも、浮世絵を買い、戯作を読んで楽しんでいたのです。
  • 今は、民主主義で、マスカルチャーも、インターネットもあって、多く人がアートに触れられる。
  • 少額で買えるアートも、ネット・オークションもある。
講師
講師
やはり余裕が無い時には、それどころではないので、贅沢と思う方も多いかも知れないですが、「お金か?心か?」「物質か?精神か?」どちらかを選ばなければならないという問題ではなく、どちらも欠けてはならないものだと思います。また、心の余裕のない時こそ、心にゆとりを持てる文化が役に立つこともあると思います。
受講者さん
生きるためにギリギリの生活をしている人、 忙しくて職場と家の往復だけになっている人、 自分の時間や金銭的余裕の全くない人・・・ に、とってみたら、贅沢には見えるでしょうけど。
でも芸術家って、基本びんぼう人が多いけど。。。(苦笑)

アリとキリギリスにもあるように、 日本では「望まぬ仕事でも真面目に粛々とこなし、家族の為に生きるのが偉い」という風潮があるので、芸術家のような生き方は、忌々しく映ると思います。

講師
講師
私のことですね~ごめんなさいね(笑)。宵越しの金を持たない江戸時代は、豊かだったのでしょうね。
講師
講師
私は、岡山で、祖父の家を改装して、アトリエにしていました。しかし、祖父の遺産を親戚に分配するために、その家は売られました。
その後、小豆島に、芸大の師、榎倉康二氏の父親が持つ家を無償で借り受け、アトリエを持つことが出来ました。
お金に対する考え方は、人によってまったく違うのです。
受講者さん
そこまで贅沢ではないように思います、美術館など安く入場できると思いますし…
野球観戦と同じくらいのコストじゃないかなぁと笑
娯楽全般に言えるかもしれませんが、気分転換という意味で必要なものだと思っています。
ただ、贅沢というイメージはあるかもしれません。絵が何億で売れたりしますし…
講師
講師
作家としては、アートには心が載っていますから、作家は魂を振り絞って作品を作っていますから、例え値段が高くても贅沢では無い!と、言いたいのは山々なんですけど、お金を出してくれるのは人さまですから、少しでも理解者が増えていくことを目指して行くしかないように思えます。
受講者さん
絵を購入する、となると、正直なところ、少し敷居が高く感じます。
受講者さん
まぁ実際、芸術家は技術職ですから長年の研鑽もありますし、構想から実制作まで、ものすごく時間も要するし、高いのは仕方ないですよね。
日本人の心理的財布に、芸術購入の選択肢がある人が少ないです。
講師
講師
立場を超えて、繋がっていくことが必要なのだと思います。
お金をそれほどかけなくても、見るだけでも、知るだけでも、たくさんのものが得られる機会というものもあり、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりすることもあると思います。現代アートとは、そのような可能性を持っている分野だと思います。そのような機会の一つになればと期待して、ささやかでも身近なところから始めようと思い、現代アートカフェを企画しました。ご参加お待ちしております。

これは、永遠に続きそうなので、とりあえずここでは締めました。本編で取り上げましょう。

美しい絵を描くという行為が目的そのものから、目的のための手段になったと考えると、バンクシーの様な作品が理解できる一方で絵画そのものは価値を破壊されてしまったのでしょうか? 現代の絵画の担うものがあるならば何だと思われますか?

「美しい絵を描くという行為が目的そのものから、目的のための手段になったと考える」

⇔近現代アートの中で、手段も目的も、人それぞれが答えを出すようになった。
美しくてもそうでなくても構わないし、美しいという感じ方もそれぞれあるという考えが、前提になっていると私は考えている。

「絵画そのものは価値を破壊されてしまったのでしょうか?」

⇔マルセル・デシャンの作品の様に、例え破壊力が有っても、それは関係を問い直すことであって、価値を破壊することとは別。現に、絵画というものは、その後も描き続けられている。

 

「現代の絵画の担うものがあるならば何だと思われますか?

⇔これは答えるのが難しい質問。
歴史上、既に誰かが作った作品は、もはや作る必要が無いのか?→そういうことは、全く無い。

では、歴史と個人の関係とはどういうものか?→これは個人の判断。
歴史に重きを置く人も、まったく関係ないと思う人もいるだろう。

では、絵画とは何か?描くという意味は何か?そのような問いは無意味になったのか?→そういうことは、全く無い。新しい絵画の一ページを作ることに挑む人は、後を絶たないと思う。

このような問いは、各人の判断に委ねられ、自分がどうしたいのか?ということになっていくと思われる。 絵画とは何か?描くという意味は何か?という問いがあなた(質問した人)にとって必要なら、それにあなた自身が答えていくことになると思う。

講師
講師
ネット上でたくさん上手い人がいたとしても、自分が絵を描く必要が無いとか、意味がないということには、私はならないと思います。自分にとって、絵を描くことが必要であると思うのなら、意味があるはずです。
受講者さん
分かりやすく美しく上手に描いてある絵画、というのが「素人受けする絵画」「昔からある平凡な表現」という位置づけになっているようには思います。
「革命的」「実験的」「先駆的」な芸術家が、素人が見たら「?」と思うような、新しい表現をするんですね。
受講者さん
個人的には、自分の描きたいものというか、自分の見てみたいもの?というか、は自分でしか描けないんじゃないかなと思っています。
コンセプトを伝えるだけなら、写真でも映像でも良いような気はします。
受講者さん
何か表現したいものがあって、その手段として「絵画」を選んだのか。 それとも「絵画」を描きたいから描いているのか。
そこで、だいぶ話が違うかも。
講師
講師
アートを作る人の立っていたい場所、見て行きたい視点の方向、何をテーマとしていきたいかという選びがあると思うんですね。アーティストだけではなく、それぞれ自分自身の。
受講者さん
私は、紙に絵を描く指先の感覚みたいなのが好きで、絵を描く行為そのものが好きです。
(コンセプトは希薄です)
講師
講師
「絵画」を描きたいから描いているというのも、テーマになると思いますよ。ただ、色々知ると、色々広がっていきます。色々考えさせられることも、出て来ると思いますが。
「作品を作る意味」について、 案外、巨匠たちも、「作りたいからだ~!」かも知れません。是非、本編で掘り下げましょう。

歳森先生が一番「ぎゃあ!」と思った作品は何ですか?

講師
講師
フェンスに囲まれた空き地の中心に汲み取り井戸が一つ、静かに水を噴き出し続けている。
ヘフナー/ザックス 崇仁公園 PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015

ぎゃあ!ではないのですが、心にしみる感動を覚えています。
京都は歴史が強く残った場所、被差別の歴史も強く残した崇仁地域は、立ち退く度にフェンスで囲い続けて、もうほとんど家が残っていませんでした。
遊具や井戸など、ところどころに生活の痕跡が残り、作家はそれをさりげなく、丁寧にインスタレーションにしていました。

被差別の歴史、場所が一つ、終わろうとしている。
そして、水が湧き続けている。
そこに暮らした人々に思いを馳せ、献杯しました。


講師
講師
質問には以上、(駆け足で)お答えしましたが、本編ではもう一度掘り下げる機会を持ちたいと思います。
まずは、質問を下さった方に感謝申し上げます。有難うございました。
講師
講師
最後に言葉の意味、Artだけはお伝えします。

Art

語訳
1.芸術、美術
2.芸術作品
3.技巧、術、技、熟練、腕、専門技術(職人=Artisan)
4.人工、わざとらしさ、作為
5.狡さ、狡猾、手管

ヴィレム・フルッサー
「サブジェクトからプロジェクトへ」
人間が自らの生と、生の環境を改善するために、自然を改造する力を、広い意味でのアート(仕業)という。
英語、フランス語のARTの元になったラテン語のARS
→もっと古い言葉AR(刺しこむ)と関係があるという一説

講師
講師
人工、これ大事です。アートは、人工物なんです。
「人間が自らの生と、生の環境を改善するために、自然を改造する力を、広い意味でのアート」
これも大事だと思います。
講師
講師
「ささる~っ」という、AR(刺しこむ)も、個人的には重きを置いています。
キュレーターが、良い作家は良い職人でもあると言っていました。職人=Artisan、これも個人的には大切だと思っています。
皆さん、どう思いましたか?
受講者さん
人がつくるものは、広義では全てアート。
ただ、その時代に新しい表現を開拓して認められた人が名を残してきた。
その「新しい表現」が分かるようになるには、鑑賞者も勉強や歩み寄りが必要。
現代アートに対して、前よりも苦手感が少なくなりました。
講師
講師
有難いお言葉ですね。少し手ごたえを感じます。
受講者さん
自然を改造して環境を適応させていく人間の生がアートの広い意味、というのは考えさせられる気がします。
影響を受けたり与えたり、環境やほかの人との関係が現代アートの中心なのかなと思いました。
また、アートの語源の候補に刺さると言うのがあるのも面白く感じました、感じ方は国や時代によらないのかなと思いました笑
講師
講師
発見があったのは何よりです。時代を超えた普遍性、というのも、美学者たちの永遠のテーマかも知れません。
講師
講師
では、ホンに長らくお付き合い有難うございました。 時間となりましたので、今回は、これで終了とさせていただきます。
本編でもよろしくお願いします。それまで、しばらく!
受講者さん
ありがとうございました!

こちらでの質疑応答を、更に加筆修正して掲載しています。
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