第2回 アートやその周辺の言葉が意味するもの
2021年5月1日(土) 14:00~17:00
質問された方がいらっしゃいますので、その質問からいきましょうか?
イタズラとしてメガネを床に置いたら展示物と勘違いされた!
- 「フルクサス」「ハプニング」というアート・ムーブメント そこでは、アート・パフォーマンス、コンセプチュアル・アートが数多く発表され、注目を集めた。
⇔ささやかな仕掛けをしたり、来場者に考えさせたり、普段とは違う視点を求めたりしました。
そうでなければ、蹴っ飛ばされたり、落とし物として届けられたりしたのではないかと思うのです。
フルクサス(Fluxus)
ラテン語で「流れる、変化する、下剤をかける」
新奇なインターメディア表現、シンプルで意味を限定しない表現、ユーモア・ウィットのある表現、ゲーム性を好んだ表現。
(Wikipedia)
目的の違いはあれ、日常に非日常を差し挟むという手法の類似性はあります。
なにかしら「技」があったり、ちゃんと狙いやテーマがあれば芸術になるのかな。
⇔何時でも、どこでも、自分の体さえあれば出来る気軽さ、ささやかさは、アートの敷居を下げた。
⇔今は、自分のダンスやパフォーマンスを、気軽に投稿したり、閲覧できたりする状況もあるので、今後に注目したい。
〇アート・パフォーマンス⇔〇パフォーミング・アーツの違いもあったりして、大変なことになりそうです。
ただ、表現する人が、ささやかに、気軽に、何か面白いことを出来るという可能性は、楽しいと思います。
抽象的な作品が作り手の意図を十分伝えられるのか?
- 具象絵画=具象的なものが描かれる。具体物(人とか、花など)がモチーフ
- 抽象絵画=抽象的なモチーフ、或いはテーマを持つ。
- 抽象的なモチーフには、多様なものが含まれる。
=素材の選び方や扱い、制作方法、関係、思想、感情など
たとえば、女性が開放感を感じていることを表現する、これは具体的なモチーフに、開放感という抽象的イメージを表現しようとしているわけです。
もう少し進めさせてください。
-
- 表現とは、形を写すのではなく、そこに何かを表すということ。
- アートには表現がある
→具象作品にしても抽象作品にしても、「何か」を表現したもの
→表現というものが、抽象的とも言える。 - 表現をより理解するには、やはり作り手の意図や背景=コンセプトを理解する必要があるのでは? (何が描かれているものが分かることと、何を表現しているかが分かることとは、一致しない。)
さっきのメガネの話でも、作りてはただのいたずらでしたが、受け手は芸術作品として受け取った、ということから、作品は作り手の意図だけでなく受け手の意図も重要と感じました。そして、そこに具体的なモチーフが描かれていてもいなくても、あまり変わらないのかなと思いました。
「解放感」というテーマで、半裸の女性が大空に羽ばたく絵・・・とかいう具象表現では、ツマランです。 分かりやすい絵は、既視感がありますし。
- 抽象的とは、現実離れしている例えとして使われることが多い。(が、そうでもない。)
- 抽象とは、余分なものを削ぎ落して、よりシンプルにした、という意味もある。
- 抽象表現主義=ジャクソン・ポロックが代表的作家
- 現代アートでも、具象作品はたくさんある。抽象的なものだけではない。
表現というものが、抽象でも、具象でも、どういうものであるべきか?これは、大変重要で難しい問いですので、一生かけて考えて行きたいと思います(笑)。
〇関係性のアートは、とりわけ抽象的
既製品=レディ・メイド(あらかじめ作られているもの)を使用した訳ですが、これがまた大論争の原因です。 みんなが技術的に苦労して、絵の具を塗ったり大理石を削ったりしてきた。
それに対して、アート作品は、別に何も手を加えないものでの良いのでは?アートは視覚的なものではなく、見る人の頭の中で生まれるものでは?という問いを発したわけです。
これは正直、アートを作る人にとって、頭の痛い問題だと思いますね。
- ダダイズムは、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想ですが、ここに「第一次世界大戦に対する」という言葉が抜けると、とても誤解されやすい。
- 既製品の便器も、どういう場面で出品されたものか分からないと、とても誤解されやすい。
ふと思いましたが、便器にサインをして出品したものは、いたずらに近いなと感じました笑
また、掘り下げましょう。
では、次の質問。
現代アーティストは変わっているのか?
- 個人差がある。
研究者から、パフォーマー、サラリーマンに至るまで、様々なタイプがいる。→最終的には個人の選択。 - 表現に取り組む目的を持ち、個性が強く出そうとする意志がある。→個性的生き方を、自分で選択した。
- 演出のために、意図的に「変わっている姿」を演じることがある。→広報宣伝
- アート・パフォーマンスという、分野もある。→自分が、アートそのもの。
個性、多様性のためには、もっと変わっている人が増えて、それが容認される社会になった方が良いと思うのですが、、。
ちなみに、作っている人の性格と、作品のイメージが大きく違ったりするということはあるんでしょうか?
変わっているという評価は、アートに取ってあまりいいことでは無いのでしょうね。
変わっているというのは、なにか表現したいものを持っているということなのかな、と感じました
前置きで「昨今の状況を鑑みますと、あまり躊躇している場合ではないと思いました。」とありましたが、昨今の状況とはどのような状況を指していますか?
- まずコロナ禍
- そのための閉塞感
- 外に出て作品を見に行けないこと、そのためにアート関係の場所も良い状況ではない。
- インターネットは可能性があるが、偏りもある。
→リアルが足りないこと、真偽の不確かさ、好みによる選別で、情報は偏っていきがち。→そのような環境下では、現代アートに触れる人が増えるとは思えない。 - もともとの、現代アートの閉塞状況。
→コロナ禍の影響で、更に現代アートを理解してくれる人が少なくなっていくように思われた。 - 現代アートは、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりするだろうと思っている。
→今の状況こそ、現代アートが役立つのではないか? - 有名な人も専門の人もいる訳だが、誰かがやるのを待っているようでは、自分の人生を考えた時、時間がもったいないと思った。
アートとデザインと工芸の違いはなんですか?ジャンル分けしなくてもいいかもしれませんが、あえてすることでそれぞれの本質が見えてくるのでは?
- 工芸=生活に使われる実用品
使う時に、快適に、美しく、または楽しくなるための、創意や美が込められたもの。
作家が自ら作っている場合が多いように思える。 - デザイン=広範な領域が含まれる、実用物、そのための計画
文字のような小さなものから、建築のような大きなものまで、間接的な効果を狙った、グラフィックのような絵画的なものから、人の流れのような関係のデザインまで。 快適に、効率的に、美しく、または楽しく、デザイン・コンセプトも広くある。 他者からの依頼を受ける場合が多いように思える。 - アート
実用品ではなく(衣食住には関係しないという意味で)、形而上的、つまり精神的なものが多いと思われる。 自らの意志で、自らが主体となり、自らが作り(一人でない場合もある)、自らの意図を込めたもの。 大概の場合、他者からの依頼で生まれるものでもない。
意図は、「自分が好きだから」というものから、「社会的ビジョン」まで、更に幅広くある。
※大枠としてお答えしました。例外的なものがあったとしても、それを否定する意図はありません。
価値、ニーズがどのように生まれるか、考えなければ答えが出ない気がします。
ジャンルというものは、固定的なものでは無いのでしょうね。
現代アートと、それ以前のアートの違いについて教えてください。また、その境目で何が起きたのですか?
現代アートは、ここでは、自らが主体になって、自由に、自分の意図を込めた作品を作る、という定義です。近現代アートと言った方が、厳密かもしれません。
そのようなことを、初めに行った作家として、マネ、クールベが上がることが多いようです。(解釈は人によって、少し幅があるようです。)
それ以前のアート=パトロンに依頼され作られた画がほとんど⇔
現代アートの先駆け=自分が作りたいものを作り、見せた
[その境目で起きたこと]
科学の進歩→生産効率が上がる→産業が発展する→人々が豊かになる→市民社会が生まれ始めた。
主催者の歳森さんは、なぜアーティストになりましたか?
また、小学生の頃、中学生の頃、高校の頃、美術への向き合い方、関心はどのようなものでしたか?
=幼くから、泥遊びや粘土を好んだ。
両親の離別、鍵っ子生活の中で、生活の一部になった。親や先生に褒められるのはうれしかったが、自分が好きだからという理由でしていた。
中学生の頃
=運動に傾倒して、授業の時間以外は、それほどしなかった。
高校の頃
=中学高校を通した受験校経験で、学歴社会に嫌気がさし、運動ばかりしている内にすっかり落ちこぼれる。 田舎を追ん出て、アートで一発逆転することを目論む。
芸大受験のために、部屋にこもって絵を描き、ギリギリの出席日数でからくも卒業。
アート(美術)は、贅沢か?
[贅沢であるという理由]
- 絵にかいた餅(は食えない。)
- 衣食住とは関係ない。
- お金持ちだけが持つ、贅沢品。
- 王侯貴族がパトネージュする歴史が長く続いた。
- 今も、富裕層がアートを高額で取引する、マーケットの世界がある。
[贅沢ではないという理由]
- 餅は食べれば無くなるが、絵はずっと楽しめる。
- 衣食住とは関係なくとも、衣食住を精神的に支えるものはある。
- お金持ち以外でも、見たり購入したりすることが出来る。
⇔宵越しの金を持たない江戸っ子たちも、浮世絵を買い、戯作を読んで楽しんでいたのです。 - 今は、民主主義で、マスカルチャーも、インターネットもあって、多く人がアートに触れられる。
- 少額で買えるアートも、ネット・オークションもある。
でも芸術家って、基本びんぼう人が多いけど。。。(苦笑)
アリとキリギリスにもあるように、 日本では「望まぬ仕事でも真面目に粛々とこなし、家族の為に生きるのが偉い」という風潮があるので、芸術家のような生き方は、忌々しく映ると思います。
その後、小豆島に、芸大の師、榎倉康二氏の父親が持つ家を無償で借り受け、アトリエを持つことが出来ました。
お金に対する考え方は、人によってまったく違うのです。
野球観戦と同じくらいのコストじゃないかなぁと笑
娯楽全般に言えるかもしれませんが、気分転換という意味で必要なものだと思っています。
ただ、贅沢というイメージはあるかもしれません。絵が何億で売れたりしますし…
日本人の心理的財布に、芸術購入の選択肢がある人が少ないです。
お金をそれほどかけなくても、見るだけでも、知るだけでも、たくさんのものが得られる機会というものもあり、感動を生んだり、新しい見方、考え方になったり、勇気に結びついたりすることもあると思います。現代アートとは、そのような可能性を持っている分野だと思います。そのような機会の一つになればと期待して、ささやかでも身近なところから始めようと思い、現代アートカフェを企画しました。ご参加お待ちしております。
これは、永遠に続きそうなので、とりあえずここでは締めました。本編で取り上げましょう。
美しい絵を描くという行為が目的そのものから、目的のための手段になったと考えると、バンクシーの様な作品が理解できる一方で絵画そのものは価値を破壊されてしまったのでしょうか? 現代の絵画の担うものがあるならば何だと思われますか?
「美しい絵を描くという行為が目的そのものから、目的のための手段になったと考える」
⇔近現代アートの中で、手段も目的も、人それぞれが答えを出すようになった。
美しくてもそうでなくても構わないし、美しいという感じ方もそれぞれあるという考えが、前提になっていると私は考えている。
「絵画そのものは価値を破壊されてしまったのでしょうか?」
⇔マルセル・デシャンの作品の様に、例え破壊力が有っても、それは関係を問い直すことであって、価値を破壊することとは別。現に、絵画というものは、その後も描き続けられている。
「現代の絵画の担うものがあるならば何だと思われますか?」
⇔これは答えるのが難しい質問。
歴史上、既に誰かが作った作品は、もはや作る必要が無いのか?→そういうことは、全く無い。
では、歴史と個人の関係とはどういうものか?→これは個人の判断。
歴史に重きを置く人も、まったく関係ないと思う人もいるだろう。
では、絵画とは何か?描くという意味は何か?そのような問いは無意味になったのか?→そういうことは、全く無い。新しい絵画の一ページを作ることに挑む人は、後を絶たないと思う。
このような問いは、各人の判断に委ねられ、自分がどうしたいのか?ということになっていくと思われる。 絵画とは何か?描くという意味は何か?という問いがあなた(質問した人)にとって必要なら、それにあなた自身が答えていくことになると思う。
「革命的」「実験的」「先駆的」な芸術家が、素人が見たら「?」と思うような、新しい表現をするんですね。
コンセプトを伝えるだけなら、写真でも映像でも良いような気はします。
そこで、だいぶ話が違うかも。
(コンセプトは希薄です)
「作品を作る意味」について、 案外、巨匠たちも、「作りたいからだ~!」かも知れません。是非、本編で掘り下げましょう。
歳森先生が一番「ぎゃあ!」と思った作品は何ですか?
ヘフナー/ザックス 崇仁公園 PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015
ぎゃあ!ではないのですが、心にしみる感動を覚えています。
京都は歴史が強く残った場所、被差別の歴史も強く残した崇仁地域は、立ち退く度にフェンスで囲い続けて、もうほとんど家が残っていませんでした。
遊具や井戸など、ところどころに生活の痕跡が残り、作家はそれをさりげなく、丁寧にインスタレーションにしていました。
被差別の歴史、場所が一つ、終わろうとしている。
そして、水が湧き続けている。
そこに暮らした人々に思いを馳せ、献杯しました。
まずは、質問を下さった方に感謝申し上げます。有難うございました。
Art
語訳
1.芸術、美術
2.芸術作品
3.技巧、術、技、熟練、腕、専門技術(職人=Artisan)
4.人工、わざとらしさ、作為
5.狡さ、狡猾、手管
ヴィレム・フルッサー
「サブジェクトからプロジェクトへ」
人間が自らの生と、生の環境を改善するために、自然を改造する力を、広い意味でのアート(仕業)という。
英語、フランス語のARTの元になったラテン語のARS
→もっと古い言葉AR(刺しこむ)と関係があるという一説
「人間が自らの生と、生の環境を改善するために、自然を改造する力を、広い意味でのアート」
これも大事だと思います。
キュレーターが、良い作家は良い職人でもあると言っていました。職人=Artisan、これも個人的には大切だと思っています。
皆さん、どう思いましたか?
ただ、その時代に新しい表現を開拓して認められた人が名を残してきた。
その「新しい表現」が分かるようになるには、鑑賞者も勉強や歩み寄りが必要。
現代アートに対して、前よりも苦手感が少なくなりました。
影響を受けたり与えたり、環境やほかの人との関係が現代アートの中心なのかなと思いました。
また、アートの語源の候補に刺さると言うのがあるのも面白く感じました、感じ方は国や時代によらないのかなと思いました笑
本編でもよろしくお願いします。それまで、しばらく!
こちらでの質疑応答を、更に加筆修正して掲載しています。
アートオンデマンド・ホームページ