ロゴス、ピュシス、そしてアウラという概念に出会いました。
これらは、描く意味を基礎づける、重要な概念です。
もの派を調べ、そして生成AIについて考え、描く意味を改めて考えさせられる経緯で出会いました。「音楽と生命」坂本龍一×福岡伸一(集英社)と出会い、そこからヴァルター・ベンヤミンに出会いました。
AIに出来ないことを考えることは、人間にしか出来ないことを考えることに繋がります。
では、人間にしか出来ないこととは何か?この問いはとても大きいもので、考えを進めながら苦しみました。ロゴス、ピュシス、そしてアウラという概念が、その答えを用意してくれました。
音楽と生命
「音楽と生命」を少し紐解きます。
ロゴスとピュシス、この二つの概念がキーワードとなって、全編を通じて繰り返されます。
ロゴス=論理、理性、言葉、思考。
ピュシス=自然、宇宙、生命、感性といったものでしょうか。
坂本龍一氏は、音楽のロゴスを脱してピュシスを取り入れたアルバム「async」を世に出し、残念ながら他界されました。福岡伸一氏は、動的均衡というピュシスを、生物学の立場からロゴス化する研究をされています。
ピュシスの世界は、人間を取り巻く宇宙という圧倒的な未知の世界、しかし人間はそれをロゴス化しなければ認識出来ないという相克、捉えても捉えても零れ落ちてしまうピュシスに対する葛藤、人間世界をロゴスによって、ロゴスによる先入観によって、ピュシスと切り分けることに対する警鐘、活動の最前線で含蓄のある言葉が響きます。ロゴス⇔ピュシスを行き来するお二人の経験談から、ピュシスに対する真摯なまなざしが感じられました。
音楽と生命→描く意味
内容を、描く意味に引き付けます。
山に登らなければ次の山は見えない。
ロゴスによって構築することが不可欠であることは、デッサンの意味をも明確にしてくれるようです。画力や造形理論の追及が必要であり、高度な水準を目指す行為であることも示していただきました。
描くということは、自分の内なるピュシスと連動すること。
それぞれの内側に目を向けることが、美術としても入り口となることは、重要な示唆です。
ロゴスに止まらず、ピュシスを求めること。
美術活動の本質は、ロゴスではなくピュシスであることは明らかだと思います。
アウラ
文中、坂本龍一氏の発言にあった、ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」という概念に、次に突っ込んで行きました。
(参考にしたのは、「美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学」秋丸知貴評です。アウラ概念はとても難解とされているため、秋丸知貴氏によって紐解いていただいたことを感謝します。)アウラに関するキーワードを抜粋します。
・「いま・ここ」であること
・同一の時間・空間上に存在する、主体と客体の間における「相互の作用」
「相互作用」には、視覚のみならず、触覚・聴覚・嗅覚・味覚の五感全てが関係する。
・五感の度合が高ければ高いほど、相手に対する情動の密度も上昇し、相互に被る心理的・物理的変化、つまり「アウラ」もまた濃密に増加する。
・全ての物に現れる。
・顕在的なもの(→オーラではない)
・空間と時間からなる一つの奇妙な織物
・現存感を構成する原物性・直接性・五感性・静態性を持つ。
・どれほど近くにあろうとも、ある遠さの一回的な現れ(→複製できない)
・そこには「まなざし」という視覚的問題が関わっている。見つめられている者、あるいは見つめられていると思っている者は、まなざしを開く。主体が客体に「まなざしを送る」際に客体が主体に「まなざしを送り返す」。
・「美」=「対象」が「アウラ」に被われた状態
『絵画について言えば、こうした物を画家が手で描く場合、画家はその物をアウラ的知覚で見つめ、その物とアウラ的関係に入る。つまり、画家は物に注意(=意識の持続的集中)し、無意識的に没入する。そこで、画家は物とそれが蓄積してきたアウラの総体を悠久の自然美として感受する。
そして、その自然美に感動した画家は無意識的な連想(=主観的解釈の連続)の流れに身をゆだねる。この場合、絵画において画家が描くことができるのは物に対する自分の心象(=主観的解釈の総体)であり、客観的な物自体は永遠に到達不可能な一つの目標に留まる。
つまり、画家が物を写生する場合、そこには常に必ず画家の主観的解釈(=アウラ)が含まれる。これが、絵画において描かれる物の自然美に付加される画家の個性的な芸術美、すなわち「自然との関係における美」を構成する。』
※アウラについて詳しくお知りになりたい方は、「美とアウラ――ヴァルター・ベンヤミンの美学」を検索してください。
アウラ→描く意味
アウラには、デリケートかつ精妙な関係性が感じられます。またアウラには、ロゴスで捉えきれない、ピュシスに深く関係を持つ何かを感じます。
次に、抜粋したキーワードを、デッサンに引き付けた言葉に並べ替えてみます。
「いま、ここに、私とモチーフがあります。
デッサンを描こうと、私とモチーフは対峙しています。
私に、肉体、心、生の衝動、これまでの生きてきたこと、他の人や物と関わった歴史などがあります。
モチーフにも、物質、時間の蓄積、他のものとの関わりなどがあります。
私とモチーフを、空気、光、時間の流れ、周りの音などが包んでいます。
それらを感じ、それぞれの関係を感じます。
モチーフを観察し描写すると、私とモチーフとデッサンとの相互交流が生まれます。
心と目と手によって実感された感受性は蓄積され、次のデッサン、次の作品に更新され続けていきます。」
まとめ
私がここで注目した言葉は、「まなざし」です。
美術の原点は、やはり、見ること。
ピュシス、アウラという概念が示す、見るという行為方は、真摯な、等身大な、実直なものだと思います。
見る意味と共に、描く意味がある。見る意味は、描く意味を問い直すものになります。
受験制度、技術中心主義、マニュアル主義、効率主義、またインクルーシブ教育など、美術の世界も時代の変化に翻弄されてきました。美術の原点から、それらを捉え直していく必要があると思います。