当方は、統合失調症の方や、うつ病の方から、多くのお問い合わせをいただいています。
今までに、ざっと50件は超えています。私どもが、マンツーマン式のレッスンをしているからでしょうか?それとも、私どもを推薦してくれる方がいるのでしょうか?(そうでしたら、名乗り出てご協力いただきたい。)そして、他の教室もこのような状況でしょうか?

「ものぐさ精神分析」
そのような次第で、心理学の本を読んで勉強する必要に駆られました。参考にした本は、岸田秀氏「ものぐさ精神分析」1977年刊行。暇が出来たので、記憶を頼りに古い本を取り寄せました。いわゆる医学解説書ではなく、広範な内容を持つものが、私どもの立場からは役に立ちます。集団心理に精神分析を応用した、意欲的な論述も多く掲載しています。
〇人はどこまでも、現実直視から逃げようとする
〇セルフイメージは、自分に都合よく作られるもの
〇自己嫌悪は、自分に都合の悪いものを直視しないため
〇歴史的に、正義を語る多くが、悪を行使している
〇ペリー来航以降、内面に尊王攘夷を蓄え、外面に開国を掲げて分裂した日本が、終に第二次大戦へと「発症」する日本精神分裂病論
などを掲載した、当時のベストセラーです。痛くとも気持ちが良い、まるでツボを押されたような気持になりました。日本人が本来、内面と外面を、本音と建て前を使い分ける、二重化した民族性を持っていること、戦後民主主義が、内面に封建制を保ち、形ばかりの民主主義を輸入して今日に至ることなど、現代でも通じる点も多々あると感じています。

自己同一と自己分裂
統合失調症は、当時は精神分裂病と呼ばれていました。症状をかいつまんで申し上げますと、ショックから、外面つまり対外意識が実感を失い、内面つまり自意識は客観性を失い強化されていきます。自分の内面と外面が、次第に乖離していくという症状です。
アートは、自己同一性の生み出すものと表現されることがあります。自己同一性はセルフ・アイデンティティと訳されます。どのような作品でも、その人の全般的なものが表現され、或いは曝け出されてしまいますし、作家は作品と自分の融合を目指し、セルフ・アイデンティティを模索していきます。

つまり、セルフ・アイデンティティと統合失調症は互いに対になり、統合していく心の動きと、分裂していく心の動きになります。対にすると考えやすいという、発見がありました。

自己正当化
自己同一と自己分裂の両者を隔てるものは、客観性だと判断しました。デッサンは、客観視するためのものというお話をしました。しかし、客観視というものが難しいものであるということも、以前お話ししました。なぜ難しいか?原因はズバリ、自己正当化という心の動きです。
「まだ、本気を出していないだけ。」
「その時、調子が悪かった。」
「話し方、教え方が悪かった。」
「自分と合わなかった。」
どこまで行っても、自分は正しいと言いたいのが、悲しいかな人間です。現実に直面しないための逃げが、次から次へと出て来る。しかし自己正当化すればするほど、客観的視点を失い、現実から乖離していくことは避けられません。現実から乖離していくということは、自分の内面と外面が分裂していくことでもあります。
もちろん私自身も、自尊心がある限り、自己正当化から逃れられません。しかし、自己正当化を客観すれば、二重化や分裂傾向を押さえる「楔」にはなります。大敵、自己正当化を克服することは出来ないかも知れませんが、敵を知ることは出来ます。

SNSの誹謗中傷について
客観的に見れば、このようなことをしている人は、匿名という安全圏にいて、当事者と話すわけでもなく自己正当化し、高いところから見下すように、自分の攻撃的欲求を満足させている、ということになります。この問題を審議担当する三原じゅん子氏が「恥を知りなさい。」とは言わないでしょうが、本来、恥というものはご本人が感じるもの。落ち着いて考えれば、ただの強がり、強がりをいうのは弱さを隠すためだと分かるでしょう。更に冷静になったら、これが生み出したものは何もない、ただの空虚であることも、ご自身の心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いていることがわかるでしょう。冷静になれるのなら、覗いてみたらどうですか?

冷静になれない場合、加害するご当人たちは、更に問題を抱えます。普段の自分と、SNS上の自分が、分裂していくという問題です。表と裏、本音と建て前などの二重化傾向に加え、近代史的二重化に加え、SNSによるものが精神分裂を強化します。これは、統合失調症になり易い状態かも知れません。もし、我々と同じようなお問い合わせが、全国の教室にあるなら、この確証が高まります。

自己同一を目指して
ジム・ロジャーズ氏が「幸せを得るには、好きなことを貫くことだ。」と語っていました。どんなに好きでも、長く続けていけば、困難には出会います。技量不足、チャンスのタイミング、金銭問題、自分より優秀な人の存在、政治や力関係、自分ではどうにもならないことがいくらでもあります。それでもなお、それを乗り越え、自己実現を図っていくには、本当に好きだというモティベーションと、貫いていく意思が必要だということを言っているのだと、私は受け取っています。
それでも、自己同一を実現できるかどうかはわかりません。しかし、これは自分だけの目的から一歩踏み出して、目的を社会化することですから、「一回り大きな自分」になることが出来ると思います。

最後に、デッサンについて
デッサンは、現実を直視しないと、どこが悪かったか?どこを改良すればいいのか?わかりません。いやでも、認めたくなくても、上手くなりたいのなら、どうしても客観的判断が求められます。だから自己正当化しても、何もなりません。
複雑な社会の中で、客観視はますます難しくなるかもしれませんが、デッサンはその点、分かりやすい「客観視ツール」としてお役に立つと思います。

なるべくなら、デッサンそのものを目的にするのではなく、何かするための目的にデッサンを役立てていただきたいと思います。何となく上手くなりたいという理由では、自分がどんなに描けないか分かることは、相対的に厳しく感じるかも知れません。
例えば、ご自身の「絵の、こういうところを表現できるようになりたい。」という大きな目的があるなら、デッサンは明確な手段になりますので、壁を乗り越えるために必要な視点=客観視を提供する、素晴らしいツールになることをお約束いたします。