アートとか絵とか、文化芸術にはいろいろなジャンルの呼び方はありますが、それぞれ何かを表現するという目的があります。何を表現するかというと、それは魂とかソウルとかしか例えることの出来ないものだと思っています。

もちろんコンセプチュアル・アートとか、関係性の中で成立する理知的な表現もあるのですが、線とか筆遣いとかといった細部に、どうしても「作者その人」といったものが、見え隠れします。「作者その人」と言っても、姿形ではなく、性格とか気質とかいった内面的なものです。作者を良く知っている場合は、特によくわかります。やはりいい作品からは、全身全霊で吐き出された、作者の魂が伝わってくるように思います。

だから、表現という行為は大変です。
例えば、自分の何を、吐き出せば良いのでしょうか?
例えば、自分は何のために、それを表現するのでしょうか?
やはり自分自身について、考えたり、向き合ったりすることから逃れられません。
好き好んで、自分にダメ出しをして、もっと良いものを求めて、全力で闘っている。人から見ると、自問自答を繰り返し、何の役にも立たないものを作り出す、変人やペシミストに見えるかも知れませんね。

絵が上手くなりたい!と思う人はたくさんいます。
そして、技術的なことばかり注力する傾向があります。
しかし、なかなかうまくは行きません。
なぜならば、それだけでは内面的問題をクリアーできないからです。

内面的問題とは、まず自分の現状を受け止めることです。
自分には、良い点も欠点もあります。出来るところも、出来ないところもあります。
それを冷静に受け止める。当然のように、それを指摘されるのを聞くことも、指摘された内容を受け止めることにも、エネルギーが要ります。
それから始めて、良い部分を伸ばし、欠点を改良します。しかしこれもまた、すんなり出来ることではありません。無意識に、繰り返してしまうことも多い。自分を客観視し、コントロールしていくことになりますのでので、これもエネルギーが要ります。
だから上手くなるには、精神的エネルギーを使います。これらは全て、ご本人の自覚に関わる問題と言ってもいい。

文化芸術の分野ですから、内面の問題を扱うということは、実は多くの方が理解していることです。だから感性を先、技術を支えとすることも、皆さま薄々はわかっているはずです。しかし、ご自身が習う場合は、上手さから入る、技術から入る。そして鶏が先か、卵が先かという、順番はどちらでもいいというような話にしてしまう人もいます。確かに、上手さも技術も大切なものですが、感性を先、技術を支えという、優先順位は大切です。
優先順位を曖昧にしたため、多くの方が躓いたり迷ったりする現状があると思います。技術中心に教えたり、教わったりすることの「不都合な真実」は、その方が分かりやすいし、楽だからです。その最大の問題点は、自分を受け止め、自分を変えていく初動から大きく反れ、進めなくなることです。

自分を受け止める、自分を変えていくということは、大変なことで、ある意味、闘いだと言ってもいいと思います。精神的な弱さを抱えている方にとっては、更に大変な闘いになるでしょう。アドバイスする側としては、言葉を尽くしてもどうしても届かないところがある、頭では理解しても、感情的には納得してもらえないことも多いように思います。これは年齢、経験に関わらず大変なことなんでしょう。ご本人に転機が訪れることを、祈るしかありません。

しかし、大変なことですが、当たり前のことではないでしょうか?人も、組織も、変わっていくのが、当たり前ですから。それが当たり前にならない、億劫だ、めんどくさいとなってしまうのには、日本的風土も関係しているとは思っています。事なかれ、同調圧力、少子高齢化の影響はリアルに感じますが、別の機会に論述しようと思います。

話を元に戻しますが、アーティストがそんな闘いを黙々と行っているのは、別におかしなことでは無い、当たり前のことなのです。なぜならば、アートは魂ですから。何を求めて?お金?人の評価?否定は出来ませんが、アートは魂ですから、魂を震わせること、つまり感動が、目的になります。

作品を目の前にした時の感動、それは言葉では言い表せません。言葉が無意味化する瞬間とも言えます。是非、良い作品に触れて下さい。その人の見ようとした景色。等身大で闘っている姿。魅力と憧れと、自分の小ささ。触れて下さい。そうしたらわかる!そうしないとわからない。