便利さには功罪両面があります。
画力が無くても、簡単にお絵かきソフトで絵が描けるようになりました。人間の形が、既にプログラムされているので、わざわざ人物を描く練習をする必要がない。でもこれに慣れた世代が、名画の実物を見て果たして感動を覚えるようになるだろうか?それこそ「教科書」を見るようにしか感じられないのではないか?デジタルには「感覚」の世界を伝える難しさがあります。デジタル情報社会とアナログ現実社会の、適度なバランスを取るために、取捨選択をすることは喫緊の課題に思えます。

便利さと質の関係はどうでしょうか?
ネット情報を、アレンジするデザインが横行しています。お絵かきソフト以上に、コピー→アレンジと、それまでのクリエイティブに、自分が乗っかってしまうだけで、簡単に良いものが出来ると思う人が増えたということでしょうか。デザイン業との関わりで痛感するのは、現場で求められるのが値段の安さであり、無料素材などを基に簡単にアレンジする「楽」なデザインが、取って代わるという状況で、地方ではそれが顕著になっているということです。正にデフレスパイラル、いやデジタル・デフレというべきでしょうか、世間でデザインの質が問われなくなるのは、当然に思われます。

ロゴ・デザインの盗用問題について、実は「楽」なデザインでなくても、「楽」して作ったように思われたのは、簡単に良いものが出来ると思う人が増えたからでしょう。
あるベテランデザイナーが論評で、昔デザインは、全て手作業で職人だった、そして苦労し吟味し、「念」のこもったデザインがされてきた、と書いていらっしゃいます。昔の方々が必死に感覚を総動員してきたのに対し、今は検索すればありとあらゆる「デザイン案」「名画」に触れられます。質の追及というプロセスをすっ飛ばして、結果だけがインターネットに収まってしまいました。しかし、実際に作る現場は、今もそれほど昔と変わらず簡単では無いのにもかかわらず、いくら質を追及しても見返りを受けなくなりつつあります。安く早く簡単にというファスト文化の影響が、悪貨は良貨を駆逐するという言葉通り、質の高い仕事を追い込んでいます。

デジタルの影響で、急速に均質化され、クリエイティブに対する感覚が鈍くなってきていることに、危機感を感じています。「歴史」「感覚」「生々しさ」「感動」も薄れてしまうような過渡期的状況だと思っています。安く早く簡単にというファスト文化に、早く皆さんが飽きないだろうか?と思っているのですが、なかなかそうはならないようです。

しかし現実を放棄しない限り、掘り下げる人、本質に迫りたい人、歴史を大切にしたい人は、常に存在し続けると思います。美術に関る人間として出来ることは、今も昔も変わらず、面白いもの、質の高いものを目指すしかありません。そしてネット情報社会の中にいて、制作過程を苦労も含めて発信していくことも必要だと思います。現場の声が届いていないことも、デジタル・デフレの一因であることは間違いありません。プロが、黙して語らずという古い考えを持っているとか、関係者の狭い付き合いを気にして発信しないということが、少なからず影響しているとも思います。リアリティーを一般に届けることは、再評価のために必要なことです。

デッサンも、美術の基礎として、その過程や苦労をしっかり発信していきたいと思います。リアルは、バーチュアルより優位性があることに、疑いはありません。