紙と鉛筆さえあれば、何時でも誰でも何処でも出来る、これはとても平等な方法です。紙と鉛筆なら、それほどお金がかからない。高いお金を出して、映像機器などが買えない人でも出来る。だから先進国の人でなくても出来る。例え、寝たきりであっても、出来る可能性が高い。
どんなに古い方法だとか、原始的だとか言われても、平等であるということは、多くの人が触れることが出来るということです。そこで、喜びを見出したり、ささやかでも自信がついたりもします。つまり多くの人の「生の質」に関係する可能性がある。だから、デッサンは無くならない存在理由が、平等性にあると思っています。
もちろん専門として技術習得の道があり競争もあるわけですが、その前に、万人に文化として開かれているもの、そう思っています。