東京芸術大学の先生先輩方に、「デッサン検定」の必要性についてお手紙をお送りして一年。
ます、お返事をいただいた方の文章を要約。
-「漢字検定」と同様、利権に結びついて争うことになる。
それぞれの現場で、誠実にデッサンを位置付けることをともかく継続していくことだ。
いまデッサンの意義が薄れている最大の原因は、美術が好きな美術教師が激減し、「美術」の本質が教えられていないからだ。-
やはり長年現場に関り、作家でもある方の意見、さすがに鋭い。
その後一年で、「それぞれの現場」がデッサン検定を作りました。デッサンや職能訓練の必要性というより、利便性、キャッチがいい、ということだろうと思います。全国統一基準のデッサン検定が出来なくても、いいんじゃないかとも思います。デッサンは、基礎、途中経過ですから。
「たかがデッサン、されどデッサン」です。私はデッサンの意義が希薄になりつつあることに対して、危機感は持っています。私は「デッサン検定」を作り、手紙を書きました。しかし問題意識は、作家の現場、大学の現場、高校中学の現場、予備校の現場、それぞれ違うわけですから、共有されるものではないのかも知れません。それでも、ここで私ができることを、草の根だとしても続けていくつもりです。
※この記事は、リアル絵画教室「百工房アートスペース」で、デッサン検定という制度を開発実施した時のものです。デッサン検定は、その後、デッサンオンデマンド・デッサンコースの課題へと引き継がれました。